中国・韓国など特定アジア

ヤラセ韓流、K-POPブーム、やはり韓国の日本対策だった

ここのところヤラセ韓流ブーム、K-POPの真実が明らかになるにつれ日本ではかなりヒートアップしてきた。その火元のフジテレビというのが韓流関連の著作権を持っていてK-POPを垂れ流しにすることによって、金儲けしていると言うことだから国民は腹が立つだろう。それどころか、韓流を推し進めるためにテレビ局全体が反日になって日本国旗さえ放映出来ないと言う事態になったとしたら大問題に違いない。
この問題は、ほとんどの国民がおかしいと思っているところに火がついてしまった。
それに対してフジテレビが真摯に対応しているかと思えば全くそういうことはない。未だに親韓国で、言い換えれば反日で鬱陵島視察の自民党議員の話もまともに報道しないくらいである。
そして、鬱陵島視察の自民党議員を韓国が入国拒否をしたことで、「韓流ブーム、K-POP」というのはやはり日本対策の欺瞞だったと言うことがよく分かる結果となった。
そしてそれはマスコミだけでなく、日本に巣くう反日人士達があぶり出されるということにも繋がっている。
ならばどのTV局の報道番組などを見れば良いのかと思って、散々チャンネルを回してみたものの見るべきところがないと言うのが今のテレビ局の現状である。
これならテレビ離れも仕方がないし、企業がTVCMを作っても若者はTVを見ないのであれば、売り上げに繋がらないと言うわけである。
実際、カメラなどにしてもテレビCMを見て買うと言うことなどはありはしない。今やイメージではものを買わないのは常識である。
結局TVというのは、ものを買わない老人しか見ない時代となっていると言うわけである。
それでフジテレビのスポンサーへの電話突撃、そしてその対応が悪いとネットのクチコミへと広がって行くことになる。
その昔α707siという銀塩カメラを買ったとき、発売元のミノルタのサービスセンターに電話を掛けたことがあった。
買ったばかりのカメラの不具合だったのだが、これが製品末期でメーカーが在庫を全部引き上げた直後の話。担当者の女性は、製品は今でも製造していますからお店で交換してくださいとぬけぬけという始末。そのうちにクレーマーかと思ったのか喧嘩ごしになって話にならなかったことがある。
こんな会社はいずれ潰れると思ったら、その後コニカに吸収され結果カメラ部門はSONYになってなくなってしまった。
会社組織というのは、同じような人間が集まっているというのは長年いろいろ見ているとよくよく分かるもので、下っ端がダメなら上の方もダメと言うことが多い。
それでその電話対応というのは、正に会社そのもの体質を示すもので嫌な対応をするところならそんな会社だと言うことは間違いないところである。

 それにしても「鬱陵島への視察を計画していた自民党の国会議員3人が韓国政府から入国拒否された問題」で日本のテレビ朝日などの報道では正に韓国の新聞ではないかと思わせる発言だった。
朝日新聞系のテレビ朝日だから当然なのだろうが韓国の「聯合ニュース」を見ると、笑ってしまうほど日本の左翼メディアに似ている。


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(聯合ニュース)(花うさぎさんのブログよりリンク)

「韓国の議員や韓国有識者等が2月22日に島根県に来て抗議行動」をしているのに、日本では入国拒否などをしていない。
しかし、抗議行動ではなく単に鬱陵島(うつりょうとう)へ視察に行くぐらいで入国拒否というのは、韓国では竹島占拠というのがだいぶ後ろめたいことだと言うことがよく分かる。
そして、その抗議行動というのをよく見てみると散々甘やかした道楽息子、娘そっくりである。
なにかにつけて要求してせびり取り、言うことを聞かないと暴れたり暴力をふるったりして言うことを聞かせようとするアレである。
要するに、日本は韓国を甘えさせ過ぎたと言うことである。その上菅総理は朝鮮半島の言うがママの人間以下。
ヤラセ韓流、K-POPブームに浮かれたノーテンキな人達も少しは目が見えたかというものである。



それにしても自民党の石原幹事長。この人物は、事なかれ主義の隠れリベラル。
衆議院議員でいられるのも所詮硬派の石原都知事がいるお陰。世の中、実力もないのに親の七光りで芸能界入りしている阿川佐和子氏やこの石原氏など、不用な人物というのが結構多すぎる感じがしないでもない。



別冊 正論15中国共産党 と文革を振り返る

あるブログに誘われて、初めて別冊・正論を買った。その今回のテーマが「中国共産党・野望と謀略の90年」という題である。
かなり難い本を読むというのも別に気にしない小生なのだが、かなり重い内容であるために結構ヘキヘキすることが多い。
事実として大方わきまえていることだが、こういう文書を読んでも何もすることも出来ない歯がゆさというのは何時もの通りである。
別冊正論 Extra.15 (扶桑社ムック)


それどころか、最近では脱原発とばかり昔の新左翼やらそのシンパなりがいわゆる知識人を含んで活気づいている。これは何かに洗脳されてしまった人たちの回復というのは難しいと感じるものである。
戦後生まれの小生などが中国共産党に関わることを身近に感じたというのは、文革(文化大革命)である。
ことわっておくと、本書「別冊 正論15」には文革のことは一切書かれていない。
なぜなら、日本との関わりにおいて直接関係ないからである。

文革当初を思い起こせば、壁新聞という日本の学生運動の時に大学正門に掲げられたような大立て看板が報道された。
しばらくすると、中国当局によって撤去をされるが翌日には別の場所に出現する神出鬼没。
それに気づいた日本の特配員がせっせと書き写して報道していたと言うときである。
今から考えてもと言うより、当時でもこんな大きな壁新聞が掲示され誰も検挙されないというのは実に不思議なことだった。
この時の特配員の言いぐさというのが、日本のように言論の自由があるかのように報道したことである。
今でもこんな壁新聞を個人や団体が出せば即刻撤去と関係者逮捕などは当たり前であると感ずる。そうであるから1965年当時の中国で言論の自由などあるはずがない。
そしてこういうことを仕掛けるのは中国共産党の幹部の仕業とは薄々気がついていた。
壁新聞を書き写していた新聞特配員は順次追放され、最後まで残ったのが朝日新聞だけだった。
その時新聞報道というものが非常に曖昧な分からないものになっていたように感じる。
だから、実際は変だなと思ってもその後の4人組逮捕まで良く分からなかったというのが政治に興味を持っていなかった学生の分際というものであった。

この文革の時、紅衛兵が手に振りかざしていたのは赤い手帳。即ち紅衛兵手帳である。
この紅衛兵手帳には毛沢東語録が書かれていて、日本語版が全く同じような装丁で売りに出された。
この堆(うずたか)く本屋で平済みになっていた紅衛兵手帳は、正にカバーを取った「赤尾の豆単」を思わせるもので受験勉強に役立つ豆単は、分厚く多少小さく赤黒かったが、紅衛兵手帳は五星紅旗の色であった。
「赤尾の豆単」は受験に役立ったが、色の違う「紅衛兵手帳」は何も役に立たずにあっと言う間に消え去った。
ところが、その紅衛兵が振りかざしていた「紅衛兵手帳」を読んで感動したとして目をらんらんと輝かせていた人物が同級生にいたのである。 毛沢東は凄いと言ったのか「紅衛兵手帳」に書いてあることは立派だと言ったのかは良く覚えていない。
それどころかどこから聞きかじったのか「中国には泥棒はいない」とか、「言論の自由がある」とかの、今で思えば馬鹿馬鹿しいことを平気で口にする。
正に何かに取り憑かれたと思われたのは新聞、報道機関もそうであり、「紅衛兵手帳」「毛沢東語録」を礼賛した。

実際、本屋で立ち読みしてみたものの大して目新しいことは書いていないし、実際この紅衛兵がやったことと言えば、日本の文章で見る「紅衛兵手帳」の内容とは全く反対のことであった。
その事実が明らかになると「紅衛兵手帳」など雲散霧消して本屋でも見なくなったが、「紅衛兵手帳」を礼賛した人たちというのはどう言う人たちなのか今でも疑問である。

そして、今にして思えば、同じような言葉でも日本側から見る言葉の意味と、中国側から見る言葉の意味が違う、解釈が違うと言うことである。

同じ漢字を使うからと言っても日本と中国とは全く意味が違うと言うことは多い。
日本の漢字の意味というのは、古代中国での意味であってその後の変遷から意味が変化していると言う事が分かったのは、書道をやっていたからである。

そして、たとえば「友好」という意味も日本側から見る意味と中国から意図する意味とは全く違うと言うことを肝に命じておくべきである。
それは、常に主観というのが中国であって、「友好」とは中国から見ての友好であって日本から見ての友好ではないと言うことである。
即ち、中国には政治や政治利益に関する限り相互主義というのはあり得ない事が多いということである。
それは、日本では「日中友好」だか、中国では「中日友好」と書くことでもはっきり分かるものである。
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「日韓がタブーにする半島の歴史」室谷 克実 (著) のおさらい


「日中韓 歴史大論争」櫻井よしこ他著の部分。
櫻井よしこ氏が「日本人のルーツのひとつは紛れもなく韓国であり、そう言う意味では韓国が本家、日本が分家のようなものであると書きました」という行(くだり)をなぜ今になっても修正しなかったのか不思議な部分がある。
ここで、「日韓がタブーにする半島の歴史」室谷 克実 (著)をお復習(おさら)いしてみよう。
この本の序章で「文化、文明は朝鮮半島から来た」という主旨で、1994年3月韓国の金泳三大統領が来日したとき、天皇陛下が宮中晩餐会で述べたられた「お言葉」。
これは嘘だったというのが「日韓がタブーにする半島の歴史」の主題の一つである。
その証拠に中国の正史「随書」には、こんな一節があると紹介している。

新羅、百済皆以倭為大国、

多珍物、並敬仰之、恒通史往来

訳文を転記すると
「新羅も百済も倭国を大国と見ている。」‥新羅、百済、皆倭を以て大国と為す。
「優れた品々が多いためで、」‥珍物多し
「新羅も百済も倭国を敬仰し、」‥並びにこれを敬仰し、
「常に使節が往来している。」‥恒に通史、往来す。


従って、華夷秩序からいえば、日本が上で韓国などの朝鮮半島が下と言う事になる。
厳密には、朝鮮半島などは独立国でなかったから、華夷秩序が成り立つというのも疑問ではある。

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日中韓 歴史大論争 (文春新書)
世の中意外に科学的
日韓がタブーにする半島の歴史 (新潮新書)



その2 「日中韓 歴史大論争」櫻井よしこ・田久保忠衛 他著を読む


近年の政府民主党は、言論統制を強化してあらゆるところでの政府批判を封殺しようとしている。今問題になっている「自衛隊施設での民間人による政権批判発言を封じる事務次官通達」などは憲法違反の最たるものだとは誰でも思うが、今の民主党政府はそうとは思わないらしい。
別の言い方をすれば、現在の政府と違う考え方を持った人達の言論は封殺して、政府の都合のよい言論のみを良しとする。
そうであれば、民主党に対する批判などはあり得ず違反すれば「銃殺刑だ(閣僚のオフレコ発言)」とは、今の政府はどこかの国とそっくりである。
この「日中韓 歴史大論争」では、チベット問題に入るのだが、劉(清華大教授)は「チベットの人権弾圧は一切ないと否定する。」(2008年9月版)
それに対して櫻井氏が詳細の反証・反論をし、そのために議論が続かない。そして、劉氏はチベットの領有の正当性の屁理屈をこねる。
このかみ合わない議論に田久保氏は、
「歴史的な正当性は、もう終わりにしませんか。」という。
その後に続いて
(田久保)「なぜ我々が幾度となく人権弾圧の有無について問いかけているかといえば、中国には言論、報道の自由がないからです。」
‥‥とすると、
金(中国人民大学国際関係学院副院長)
「‥‥つまり、報道の自由がないという事実認識は荒唐無稽でさえあります。そして中国メディアにおける報道の自由の度合いは、日本をはじめとする諸外国メディアと比較しても。大きな差はもはやありません。」
こんな風に、開いた口が塞がらないような話しなのである。
ここまで来ると、こういう言い回しが仙谷官房長官の言い回し、北澤防衛大臣の言い回しとそっくりであることに気づく。
端的にいえば、現実とは遊離してその場限りで乗り切ればよい、問答無用というものなのである。そしてこの項目の最後の方に妙な一文がある。

「‥‥現在の胡錦濤・温家宝体制は、中日関係がブレイクスルーを迎えるのに絶好のチャンスなのです。」
(Breakthrough(ブレイクスルー、ブレークスルー)とは、進歩、前進、また一般にそれまで障壁となっていた事象の突破を意味する英単語。・wikiによる)
2008年の時点で述べていることだが、現在全然そうなっていない。
逆にいえば、強圧的な中国の体制が強制的に日本に対して圧力をかける事態がブレイクスルーだと言うことになる。
そして、中国は変わるどころか余計に悪く、非協調性、覇権主義になっている。
これはやはり中国というのは2005年の時点、2008年の時点、そして現在でも変わっていない事を示す。
次に「竹島問題」(2005年8月)というのがあるのだが、読んでも、解説しても気分が悪くなるだけの平行線。
そこで櫻井氏の思い違いに相違ないという部分がある。(自虐的関係史観)
5年前の討論ということで、朝鮮半島についての詳しい歴史的論評は出ていなかったかも知れない。
櫻井氏
「歴史認識を克服するのは本当に難しい。ただ、私はどうしても韓国人の中に、文化、文明というものは我々が日本に教えてやったのだという抜きがたい優越感があるのだと感じてしまいます。‥‥中略‥‥韓国の教科書を見ると、日本に対してはそれこそ『何々してあげた』のオンパレードです。
私は、『世の中意外に科学的』という本で、日本人のルーツのひとつは紛れもなく韓国であり、そう言う意味では韓国が本家、日本が分家のようなものであると書きました。‥‥以下略‥‥」
「日韓がタブーにする半島の歴史」室谷 克実 (著) などを見ると、「日本人のルーツのひとつは紛れもなく韓国」でないことが分かる。
いわゆる歴史的な文化というのは、韓国などの朝鮮半島を伝わって日本に伝来したものでないことは、遣隋使、遣唐使の歴史を見ても明らかなのだが陸続きという錯覚に囚われてしまう。
よくよく考えてみれば、中国南岸から北へ大きく迂回し朝鮮半島を横断して今度は玄界灘を超えなければならない。これは時間も労力も膨大であって現実的ではない事が分かる。
そして、古代においては朝鮮半島の南岸は日本が支配して日本か執政権を握っていたことは、日本式の古墳が多くあることからも証明される。
そして決定的であると思われるのは、李朝になかった物が日本にはいくらでもあったと言う人につきる。
「日韓がタブーにする半島の歴史」の著書の第六章には
「『倭王の出自は半島』と思っている方へ」で「倭人は殆どあらゆることを半島の民から学んで‥‥」というのは、「自虐的関係史観」だと証明している。


そして「日中韓 歴史大論争」の2010年の書き下ろしに戻ると
こういうポイントが書かれている。
それは、中国、韓国の「強烈な被害者意識です。」と書かれていることである。
それは、近世中国がアヘン戦争から始まって、日清戦争、義和団事件、日中戦争と自助努力によって自国を守った歴史がない。
中国は二次大戦後、朝鮮戦争や周辺国との戦争には絶えず参戦してその勢力を拡大したといっても、経済力も技術も自助努力で自分の国で発明したものは無い。
一方、日本は自助努力によって開国から明治にかけておわされた不平等条約を解消し、敗戦後も自助努力によって主権回復し復興した。
そして、韓国も「小中華」という枠内から抜け出せない。
よくよく見れば、韓国というのも独立戦争を勝ち残ったわけではなく、独立国になったのが二次大戦後という自助努力のない国である事から見て、中国とよく似ていると言うものであろう。

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