2011/06/02夜中の菅総理の会見を見て驚いた。それは、鳩山元総理が言っていた「一定のメドがついたら」退陣という「一定のメドがついたら」と言うのがいつだか判らないからである。
悪いことを言えば、震災復興をだらだらとやって「一定のメド」がついていないからと引き延ばせば総選挙まで総理をやっていられると言うことらしい。
それは、
1、「復興に向かっては(平成23年度)第2次補正(予算)も必要」
2、「あるいはいろいろな体制づくりも必要」
3、「原子力事故の収束も残念ながらまだステップ1の途中」
「工程表で言いますと、ステップ2が完了して放射性物質の放出がほぼなくなり、冷温停止という状態になる。そのことが私はこの原子力事故のまさに一定のメドだとこのように思っております。」(首相は自らの手で指揮を執って来年1月を目標)
4、「新しい社会作りというものに向かっていく、そういった方向性」
(産経新聞・「(2)退陣「言葉通り一定のメドがついたら」(2日午後10時2分)」)
(「(3)「原発冷温停止、一定のメド」(2日午後10時2分)」)
(「(4)」「鳩山氏とは合意文書以外に約束ない」)
ということのメドがたったらと言うのだそうな。
今の菅総理で、震災以後ほとんど震災復興の法案も成立していない状態でこの曖昧模糊とした政策目標で何年かかるというのだろうか。
その上、来年1月以降も止めるつもりはないから、9月の訪米には行くつもりになっていることがはっきりと読み取れる。
「訪米については、これから日米関係というものは個人の関係であると同時に、党と党の関係、あるいは国と国の関係でありますので、どういった形になるにしろしっかりと責任を持ち、あるいは責任を引き継いで参りたいと、このように思っています」(同)
つくづく思うのだが、菅総理というのは日本人の感性と言うより根っからの共産主義者なのだろうなという感慨がある。
なぜなら、共産主義者というのは目的を果たすためには「嘘」は正当化されるという信念がある。しかも、主席なり書記長なり今回では首相だがこういうトップを止めると言うことは、失脚を意味してその生存さえ危ぶまれるという感覚なのではないか。
事実、共産党の幹部から一挙に失脚した人物は、査問され石持て追われるどころか徹底的に潰される様が雑誌に出でいた。そして、頂点に居るトップは死ぬまでその権力を放さない。
しかも、不信任決議案を出させないために、「事実上の通年国会。12月のある時期まで」国会会期を延長するという汚いやり方をするようだ。
いずれにせよ、こういう菅総理のような日本人の感性に合わない鬼のような人物というのは想像を絶する。