風景写真館

新井祥碩・新井三喜・親子展 をみる

6月3日から12日まで安中市の妙義山美術館で親子展が行われている

新井祥碩先生の息子さんが漫画家とは知らなかったものの、案内状をいただいたので行ってみると中々面白いものである。
祥碩先生の作品は、大方こんなものと予測がつくものの漫画の方は中々よく分からなかった。



ここでは、漫画の原画が飾られていて本来写真を撮っては良くないものの、祥碩先生と懇意なために撮らせていただいた。
実際、「東北の被災地応援イラスト用」という「肉まん」などはWebサイトに掲載されている。



どちらかというと、萌え系の漫画というのも書展と一緒にすると妙なものであった。



それにしてもこういう「絵」というのはある程度若くないとやる気にならないと言う気がする。
その昔毎週先生のところに通って、花のスケッチをしていたことがあった。
花のスケッチも約2時間のうちに描き上げるということをしていたから、かなりの集中力が必要だった。
その後、先生が亡くなってしまったために絵を描くのを止め、たまに昔のように絵を描こうと思ったら集中力が続かなかった。
やはり年を取れば取れほど、集中力が落ちるというのは困りものである。



第64回書道芸術院展・ダイジェスト静止画版 その1

毎年この2月というのは展覧会シーズン真っ直中である。一時は群馬県展も重なって、何が何やら分からないときもあった。今年はそんなことにはなっていない。それでも2011/02/09は市民展の陳列だった。
県展が2月にずれ込んだのは、2年間。県立近代美術館が改装中だったからで、同じように前橋市では市民文化会館が改装中である。



銀座セントラル美術館5階

そして、東京都美術館も改装中だから第64回書道芸術院展も中央展は、東京・銀座セントラル美術館になった。
当然、銀座セントラル美術館や銀座画廊美術館では全点展示などは出来る筈もない。
それで西日本展は、奈良県文化会館。東日本展は、せんだいメディアテークで行われる。
従って、小生の作品もこの中央展が終わると宮城県の仙台まで送られる。

いずれにせよ、銀座5階には財団役員と院展役員の常任総務、総務選抜と審査会員選抜。
そして、上位賞・審査会員に贈られる峰雲賞、審査会員候補に贈られる書道芸術院大賞・準大賞、白雪紅梅賞までである。

銀座画廊美術館

8階の銀座画廊美術館には、無鑑査上位賞の院賞、毎日賞。公募最高賞の準特選が展示されている。
上京したのは5日。この日は作品鑑賞会、表彰式、レセプションが有楽町の帝国ホテルで行われた。この行事に出るだけなら造作ないところだが、当然銀座セントラル美術館や銀座画廊美術館に寄り、あわよくば渋谷東急まで足を伸ばして展覧会を見る有様‥‥??。
セントラル美術館には9時45分くらいに到着したのだが、もう既に観覧者がみるみると入ってくる。10時を回る頃になれば、ビデオを回していることも出来ない状況であった。
それで、後から考えてみると余りよく展覧会を見ていないという感じになっている。

作品鑑賞会・後藤大峰先生の作。

午後1時30分から、表彰式の会場で作品鑑賞会があった。
冒頭は、恩地春洋書道芸術院会長の説明。
その説明の内の長さ約17分が名誉顧問の村野大仙先生の作品解説だった。プロジェクターで映し出される映像というのがモノクロであったから感じがつかめない。

恩地先生が解説した、左・村野大仙先生の作

丁度写真を撮っておいたので、なるほどと言う感じがする。

峰雲賞・尾形澄神先生。
この後副賞として、香川家から香川峰雲先生の印の額が贈られた。


この作品鑑賞会は、先生方の解説が長く結果、表彰式はレセプション(祝賀会)の15分前まで掛かった。
作品鑑賞会の映像は、その後「動画編」で紹介する。
又、第64回書道芸術院展の峰雲賞は尾形澄神先生(宮城・現代詩文書部)、候補最高賞の大賞には上田多恵子先生(大阪・漢字部)であった。

書道芸術院大賞・上田多恵子先生。受賞者を代表しての謝辞。



祝賀会、上位賞の壇上での一言。

この表彰式、レセプションその他の映像も「動画編」を予定している。



レセプションお開き、JR有楽町駅までの路が遠い。



SONYα55 SLT-A55Vの高速連写で見る高岡駅

雪降る高岡、高岡大仏ぐらいは見てきたのだが、前日の「高岡なべ祭り」のテントが乱立して、あまり見る風情がない。
傘を差しての写真撮影ほど上手く行かないものはない。
その上、雪、逆光。
高岡大仏というのはどういうわけか北向き、鎌倉の大仏は南向きだったと思うし奈良東大寺の大仏も北向きではなかったはず。この辺はよく分からない。

いずにせよ、前日の晴れ間が時々見えるなべ祭りと違って17日は雪模様。
寒さという点では、間違いなく前橋の方が寒い。
それで雪が降っているから寒いと覚悟してきたら「おや」と思う気もする。
そんなこんなで列車を2本早めに高岡を出発して、越後湯沢に向かうことにした。
結果としては、列車「はくたか」は、約30分遅れ、また例のJR東日本のPCシステム故障で大分待たされることになったから早出は良かったのかも知れない。

そして、多少時間かあったので高岡駅で写真を撮ってみた。
ほくほく線「はくたか」が入線してきたので、10枚連写をしてみるものの、スピードを落としているからあっけなく撮れてしまう。

昔の、デジカメとは大違いというのはさすがSONYα55 SLT-A55Vと言うところだろう。



大寒波の中を行く富山・高岡行き(Cyber-Shot DSC-HX5V )

この16日に富山県の高岡に行くことになった。
用事は単純にH先生の文部科学大臣賞受賞記念パーティに招かれたものである。
高岡というと大学時代に高岡出身の友人がいて、高岡というところはどんなところなのか興味を持ったまでである。その友人は、早世して今では何の縁もないものだが種々気になるというのはどういうわけなのか分からない。
そして、単純に「ほくほく線」という列車の旅が何か好きで、この冬の一時(いっとき)の列車の旅を楽しんでみるかという気分もあったからである。

それで、何か予感でもしたのかある程度早い便で切符を取ってあった。
かなりの寒波が来ている、大雪という報道から多少心配してはいたが3時間の余裕を取った。
高崎から新幹線でいつも上京する方向とは違う方向に乗る。何か変な気分というものの、突然トンネルに入り出れば全面銀世界である。
但し、天気は青空だからまだまだ水上まで来ていない。その水上の手前の上毛高原駅くらいから何やら怪しくなって、越後湯沢では大雪だった。

そしてアナウンスが言うのは、指定券を取ってある「はくたか6号」は運休していますと言うのだ。ほくほく線の改札で聞くと、そのまま大幅遅れている4号の自由席に乗って行ってくださいという。
はくたか4号‥‥あまり乗客がついていないなあ、これでよいのかという思いで2両に減っている自由席を探すと不思議と空いている。
「乗車次第発車します」というアナウンスがあるものの、なかなか出発しない。
‥‥すると次第に乗客が増え、後ろを見たら立錐の余地がないほどである。
こののろのろと進む特急は「はくたか6号」と同じ時間に出発した。
各駅停車の様な感じだったから、直江津までが遠かったこと。
そして、直江津あたりが相当の吹雪だった。

高岡に着いたのは13時45分。
予定より48分多く掛かったというものの、特急が魚津くらいまで普通列車並に各駅に止まったから仕方がない。
高岡駅で掲示板を見たら、後続の10号、12号も運休と言うことで危なく行き損なうところであった。

SONY α55
大凡聞くところによると次は、はくたか8号で二時間遅れの13時34分発だったらしい。これだったら16時30分ぐらいの高岡着らしかったので、間に合わなかったと言うものである。
この「ほくほく線」が大混雑だったのは、新潟から金沢へ行く列車が運休して、越後湯沢に回った人がいたという。動いているのは「ほくほく線」だけだったと言うことらしい。
それでも、予定時間を48分オーバーでも充分間に合ったから、3時30分開場というのに3時前には到着していた。
そこで聞いたのは、長野から、東京からなどの参加者が軒並み、間に合わない、行けないという連絡が入って参加を取りやめたことである。

越後湯沢ではくたか運休を見て諦めて帰ってしまった先生方。
そして新潟までの新幹線が一部運休したので、越後湯沢どころか新幹線にも乗らなかった先生。
それでも、I先生、A先生は2時間待って、その「はくたか8号」に乗って、4時開会の後宴会が始まった5時には間に合った。
しかし、大阪からのO会長は、雪を心配して早めに出たと言うので4時前に充分到着していたから流石である。
それにして、この冬に日帰りという考えの先生もいたそうだか、いろいろなのである。

11月の東京探訪(2010/11/23)と風景写真


例年通りの上京なのだが1ヶ月半も東京へ行かないと、いろいろと「アレ」と思うことが多い。‥‥とは言っても、連休の合間だとか休日に上京することは年間でも希でほとんど平日。
この23日は、例年だと日展に行って半日潰すというのが恒例だった。
しかし、日展は六本木だし、日展第5科というのはいつ見ても同じ。‥‥というか、一種の社中展のようなものだから見ても勉強にもならない。
それで日展といえば日本画‥‥と東山魁夷画伯が健在の時はそれだけを目当てにと言うか、何か一つピリッとしたところがあった気がするのだが‥
日本画も最近は、あまり見る気がしなくなっては来ている。
群馬では、23日まで群馬県美術展が開催中で無理して見に行ってきた。
洋画の県展と言われるだけあって、洋画は大したものだった。
それは、一見素人が出品しているように見えて、実は美大出のセミプロの人達であったりして普通一般人では太刀打ち出来ないという部分が多い。
一方、日本画は教える先生が少ないし、高校で日本画を習うわけではないから純然たる素人ばかり。
洋画は、二科展審査員クラス他がズラリと並ぶ中で日本画は、日展、院展にも毎回入選出来ない人達が審査員という感じだからレベルの差は仕方がないと言うものだろう。

それは兎も角も、今回は日展ではなくわざわざ銀座まで出向いたのは「怖いもの見たさ」と言うものである。
いずれにせよ駆け足になったが、何を見に行ったのかはご想像にお任せする。
そんな中で銀座などは、平日と休日で歩いている人が全く違うと言う現象は何時も何時も妙だと思うものである。
平日の銀座というのは歩いている人も大方地味で、正直言って振り返るような美女に出会うこともない。
普通のビジネス街の雰囲気なのだが、休日ともなるとどこからとも無く見た事もない人達が集まる。近年は、有楽町にビックカメラが出来るくらいだから、昔と違ってラフな格好をしている人も珍しくない。

いずれにせよ、ここのところの10年と言うものは地方都市のランチタイムより銀座などの方が安いという珍現象は続いている。
秋葉原もアトレが完成して多少雰囲気が変わった感がある。まあアトレの社長は昔の同級生(小・中・高と同じ)だったが、桐生市の苛め自殺の学校の校長は高校の名簿を見てみたら同期だったりする。
今回も、上野精養軒での講演会の後レセプションがあった。

今日なぜか、おかわり自由というので貧乏性が昂(こう)じてランチをたらふく食べて、精養軒の宴会料理が食べられなかった。
そして、いつものことだが腹が満腹だと美味しいものも旨くないというのは困りものでもある。



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