雑感・どうでも良いこと



カメラメーカー: FUJIFILM
カメラモデル: X10
撮影日時: 2014-02-17
焦点距離: 7.1mm
絞り値: f/7.1
露出時間: 0.0013 秒 (1/800)
ISO 感度: 100
露出補正値: なし
測光方式: マトリックス
露出: プログラム (オート)
ホワイトバランス: オート
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 5.3 (Windows)


平成26年2月17日(月)は、前橋市民展の搬出。
月曜日というのは仕事や学校が始まるはずだが、17日は小中高の学校は臨時休校になった。実は18日も休校のところが多い。
仕事の方も17日は、休みだった人が多い。それは3車線道路が1車線になり普通の道路が交互通行になれば渋滞というのは当たり前である。
だから職場にいつになってもたどり着かない。
それも午前中には、工事車両の総動員で通学路は除雪が始まっていた。
この除雪は住民も含めて行われたから18日朝には取りあえず車は通れるようになっている。
しかし、18日に通勤の車が来始めても停める駐車場の雪かきが出来ていない。
それどころか17日夕方には、東日本大震災の時のように食品スーパーに食べ物がない。
ないのは、パン、牛乳、野菜などの生鮮食料品。
カップ麺は、人気がないもの、高額商品のみ残っている状況。
スーパー、モールのパン屋も今は、そのお店で焼いているところがある。
こんなところでは食パンが焼き上がっているのが見えるが、予約の様で店頭に並んでいない。
それで、いつもは買わないような売れ残りの多少高めのパンを買って来たというのが現状であった。

18日の朝には、食品スーパーの安売りチラシが入ってきている。
しかしながら、ヤマト運輸が配送を止めているような状況で品物があるのかどうかは疑問。

それにしても、この前橋でもこの冬場に通勤の車のタイヤがノーマルタイヤという車があるのには驚きである。
その小型車が、FF車なのに後輪のチェーンをはめているのはもっと驚きであった。

今、後輪駆動というのは、クラウンやスカイラインなど大型高級車しかないはずなのだが。

★写真は、17日の映像です。

<iframe allowtransparency="true" marginheight="0" src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/htmlbanner?sid=2775002&amp;pid=882499625" marginwidth="0" frameborder="0" height="90" scrolling="no" width="728"><script language="javascript" src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/jsbanner?sid=2775002&pid=882499625"></script><noscript></noscript></iframe>



1月も始動し始めている。2014年の特徴というのはどういうわけかカレンダーが例年より多く手に入ったことである。
昨年は、カレンダーが少なく1月になってから、半額になったカレンダーを買った記憶がある。
そしてそのカレンダーには必ずバイオリズムを書き込むことになっている。
このバイオリズムは、若い頃だと「知性リズム」や「感情リズム」などに注意した。
しかし、歳(とし)をとってくると「身体リズム」の影響が強い。危険日という「ゼロ」の日は本当に体が動かなくなるか、怠(だる)くて仕方がない。
そういうときは、諦めて休むしかないと思っている。
******************
このバイオリズムは、今ではPCでもスマホでも瞬時に調べることが出来る。しかし30年以上前、パソコンというよりまだワープロ全盛時代には、バイオリズム計算尺のようなものがあった。それで計算していた時代もあった。その後カシオでバイオリズムが出るデジタル時計(腕時計)があって、それを使ってカレンダーに記載していた。
そのデジタル時計の電池が切れで使えない。
この時計の電池はどこで入れるのか実際は困ってしまった。昨年までブランドショップが車で10分ぐらいのところにあって、そこで対処して貰っていた。
しかし、この不景気で閉店。時計のベルトのコマ落としぐらいは時計用のキットを買ったので難なく出来るが、電池となると電池そのものを手に入れないと出来ない。

街の中の「時計屋」に聞いてみたら「カシオは取り扱わない」とのこと。それでこういう安物時計は、ホームセンターなどに行って時間がかかっても「メーカーで交換」して貰うのが一番良いらしい。
時代が変わって、街の時計屋みたいなところもなくなって、こんなところにもいろいろな変化が出ている。

先のバイオリズムは、スマホに「バイオリズム」のアプリを入れて「バイオリズム時計」の代わりにしたから、結果として時計は必要なくなった。

*************************
考えてみれば、パソコンもWindowsXPでは遅く(ハード的にも時代遅れ)て使い物にならないし、壊れたらもう部品もない。
パソコンやデジカメばかり見ていたら他の事の変化に気がつかなかった部分も多い。

パソコン関連で言えば、ブローバンドルーター(無線LANルータ)を更新した。
昨年の夏にNECのAterm WR7870Sという54Mbps(実測10Mbps程度)が熱暴走したために、買い置きの同じAterm WR7870Sに取り替えた。
これでも問題なかったが、不思議なことにこのAterm WR7870Sを認識しない機器が出た。
その製品自体が安物なので仕方がないのだが、無線LANルータも安いので更新した。
(以前のエントリで記載済み・NEC 無線LANルータ親機「AtermWG600HP」 11n/a・11n/g/b Giga対応 PA-WG600HP)
結果、規格上300Mbpsなので無線LANで50Mbps~25Mbps出るようになった。(インターネット接続が100Mbps、その時の回線状況による変化がある。)
接続も楽になったし、ビジネスホテルで無線LANをするための安物の「何故か???」繋がらないルーターとは違った。

**************************
その他、領収書を作って貰(もら)おうと思ったら、印刷屋さんでは「ノーカーボン用紙」の種類が少なくなって今までの用紙では出来ないという。
そういえば、領収書を貰(もら)うときに領収書はパソコンから出てきて会計ソフトと一緒になっている。
こういうレガシーな部分というのはどんどんなくなっていく。

そういうことから見れば「書道」などは10年一日の如くである。
日展では、その「10年一日」の様なことがそうではなくなったと暴露された。
日展第三者委員会報告で述べているように「書道展」を営業でやっているようなところは未だにそのままである。
だから、日展のように「公益○○法人」とはついていなかったり、そもそも法人ですらない書道展などざらである。

前橋市民展・・・多分(官展として)全国一クラスの大展覧会の搬入が始まる。
書道部門の搬入は、1月10日で開催はなんと2月の12日~16日という大分先の話。
その間に祝賀会と表彰式が1日。書道芸術院の祝賀会と表彰式も陳列期間に重複するので小生としては何と3日間という社中展並のものになってしまっている。

前橋市民展は、前橋市から今は「前橋市民展覧会委員会」の主催になっているとはいえ、「官展」の部類なのでこういう事情なのだろう。
そんなわけで荒井柊雲は、前橋市民展覧会委員会、運営委員、当番審査員なので14日には、審査しなければならない。

それにしても自分の作品は、本日8日にやっと額に張り込んで出品準備が出来たというていたらくである。

自分で表具する理由というのは、表具の感覚を失わないためと群馬県書道展、書道芸術院展などの作品搬入、市民展公募作品のとりまとめなど、自分の作品まで手が回らないからでもある。

いずれにせよ、作品が出来たのはヤレヤレである。
作品は、後に公開する。












ビスタプリント


フルカラー名刺100枚320円。今なら送料無料特典付き
高級マット加工紙(240kg)使用でこの値段。簡単オンライン編集。



♪ 冬の人気商品 名刺が今なら期間限定75%オフ♪
冬の人気商品が今なら最大75%OFFになる大キャンペーン実施中
(冬のセールスキャンペーン期間:2014/1/12迄)



********************************************************

フルカラー名刺100枚320円。今なら送料無料特典付き
1000以上のデザインから選べる。写真/ロゴアップロード可。


フルカラー名刺100枚320円。今なら送料無料特典付き

参考-----------送料表

下記は商品を最小単位(名刺:100枚、フォトブック1冊等)で購入した場合の送料表。

プレミアム名刺    フォトブックコラージュ   マグカップ

21日配送  859円     880円           862円
14日配送 1591円     1609円          1594円
7日配送 1874円      1900円          1878円
3日配送 2919円      2958円           2925円


フルカラー名刺が320円+21日間配送859円=1179円で購入出来る!
 

ビスタプリント

荒井柊雲の名刺の例




300枚作っています。









2013年は、2月の節分とともに今までの「匿名ブログ」から「実名ブログ」へと変更した。
この変更というのは、ある意味世の中の流れを感じたからであった。
そして、不思議なことに多くの効用ももたらしたような気がする。この匿名ブログからの変更というのはひとえに「著作権」という問題につきる。
端的には、「著作権」を明確にすると言うことである。

例えばYouTubeの動画を公開した場合、小生の書作品が動画の中に登場した場合でも著作権を持っているのかと言うことを問われることが多い。
この点、名前を公表するとか自身の作品であると著作権を入れ込むことによって、こういう妙な勘ぐりは避けられることも多い。
その他当然として、書作自体を公開しておくと言うこともある。

かっては匿名ブログゆえに、著作権侵害に対して対策がとれなかった。それで実害がなかったのであれば問題ないのだが、今でも実害が続いているというのは困りものである。

いずれにせよ「実名ブログ」になったお陰で種々のオファーがあったりもした。
その一方で、昨年のゴールデンウィークから足が痛くて歩けなくなってしまった。これは歩きすぎるとその内に疲れて「内股」になると言うのが原因と分かった。しかし、完治するまで4~5か月掛かった。
昨年は、毎日書道展(東京展・国立新美術館)の陳列委員に選ばれなかったのが幸いした。
いずれにせよ慌ただしく過ぎた1年であり、この年になって毎日宿題を出されている心境になったものであった。

書道芸術院秋季展もかっては、秋季展委員を毎年のように委嘱されて10月の冒頭は銀座に毎日のように通うこともあった。
しかし、こんなことも数年前からなくなったし、当然出品依頼と言うこともないから他の用事に没頭できたのは有り難かった。

ここのところの10年と言わず5年くらいの間でも、意図しない軌道修正を迫られることがあった。それで軌道修正して始めたことが不思議と「当たって」一歩後退二歩前進ではなく三歩も四歩も前進したような気がする。

ある目標に向かって走り出し、まわりを見回せば一緒に走っている人ばかり。みんな「凄そうなスタイル」をしているなと思うも、脇目を振らず走り続けて振り向いたら周りに誰もいなかった。(皆と違う方向へ進んだ可能性もあり!!!!!!)
こんな経験は、軌道修正したときに必ず経験することである。

そんな感じで昨年は脇目も振らずに走り続けてきた。
今年は、思ったこともできなかった反省から、4月の消費税増税もあって少し疲れたかなという予想である。

*******************
昨年の10月の日展第5科(書道部門・篆刻)の「審査を巡る不正」の内部告発から始まった日展問題。
この件に関しては「第三者委員会」(公益社団法人日展第三者委員会)報告が平成25年12月5日付けで発表され、12日付けで日展のWebサイトに掲載されている。
このWeb上の第三者委員会報告は、既に報道されて判明している書道関係者の実名を黒塗りしてある不完全なものである。
しかし、その他の詳しい日展5科の実態が手に取るように分かる。これはやはり日展に渦巻く内部の批判というものがかなり大きいものであることが想像される。

日展騒動では、入選者が予(あらかじ)め決まっているではないかと「出品料」を返せということが数多くあったということも報道されている。
この「入選者が予め決まっている」と言うようなことを小生が「寝言」でも言うと、「それ!!!!御注進」と滅私奉公の腰巾着がいて、違法行為でも何でも犯す世界でもある。(日展とは関わっていないのでたとえ話)
日展騒動は、内部告発によって始まったが、実はこの第三者委員会報告にはその告発者の名前までしっかりと載っている。

その一方で1科~5科までの実態はほとんど分からない。
美術部門では、作品の写真が送られてきても受け取らないとか、金品も受け取らないとかということが書いてあったように思われる。
しかし、「日展、審査員が事前指導 洋画・工芸、自会派の多数入選 正副理事長会派も」(朝日新聞Web版2013年11月20日05時00分)
で報道されているとおり、「公募展の日展2科・洋画の分野で、審査員長の寺坂理事長を含む数人が所属会派の約30人に対して、作品を事前指導をしていた」。
「このうちの20人が入選、1人が特選だった」という。
しかも、この事前指導には謝礼を払うのだそうで、一説には10万円とのことだそうだ。
(報道で知る限り)

日展の5科の長老支配は言語道断であると思われるし、会員になるシステムも非常に不透明である。
しかもすべてに金銭が絡むとなると公益法人ではなく、完全な「日展ビジネス」ではないかと思わざる終えない。(報告でも指摘がある。)
今から30年前に師承の横堀艸風先生から聞いたところによれば(横堀先生が日展会員から聞いた実話を話した。)、日展で特選を取るのに一財産、審査員になるのに一財産と言われていた。
その一財産とは何かと詳しく聞いたら、「家の一軒分」だと聞いて驚いたものであった。それなら日展で会員になるには、特選2回、審査員1回で「3財産」。
この点は「第三者委員会報告」の「日展における書の問題」で取り上げている。

この報告では、「入選後・特選選定後の審査員への謝礼の禁止」。
その他「審査員資格」についてこんなことが書かれている。
「審査員資格について、書道会等芸術家団体の代表の地位を兼有している者が審査員を務めることは、社会通念に照らし審査の公正な実施を妨げる事情になると考える。
特に書において顕著なように、入選や特選の受賞が会派の価値を高め会派の入会者を増やしていくような経営(ビジネス)に直結する構造になっている場合には、およそ、審査員が芸術家団体の代表を兼していることは社会常識から判断して理解しうるものではない。
会派の代表を審査員に選ぶことをやめるべきである。」

日展は第三者委員会で提言されたから改正するとしても、日展は出直し的な大改革が必要であろう。



ここのところ毎日忙しい日々が続いていたので久しぶりの更新となってしまった。
ブログを書くコンテンツはたくさん持っているので、データを取ったり設置しさえすればいくらでも書きつらねられる。
しかし、その時間がなかったのでこんな調子である。
理由は、国内の県展で最大級という第64回群馬県書道展のためであり、3週間にわたって作品集めと各先生に募集のお知らせを送ったりしていた。群馬県展の搬入は11月中旬だが、募集要項(出品受付票)が9月下旬に届くという慌ただしさである。
毎日書道展の公募出品要項は4月初めくらいに送られてくる。それで公募の搬入締め切りは5月の連休明け。但し、こちらはまくり(表具しないまま)である。
いずれにせよ書道展の展覧会というのはいつも慌ただしい。
この群馬県展は、公募2,000点を例年超えているためにうちの社中でもそれなりのまとまった点数を出品する。
今回も社中の作品募集と、持ち寄られた作品が群馬県展のレベルに達するかどうかの事前審査をする。
この事前審査は会長、今年度の当番審査員、理事の先生など県展委員(審査会員)を中心にして随時行われた。
ここでの審査を通過しないと書き直しということになる。
こういう事前審査は、師匠の横堀艸風先生時代から行われていて、艸風先生がこれで良しとしてそこで先生が雅印を?印して合格となる。
そこでこの「雅印」というものが問題で、当時横堀艸風先生が刻した印又は、雅印として艸風先生が使って良いと許可を得た印しか使えなかった。
その上、?印も基本は艸風先生がするという暗黙の了解があったような気がする。
・・・・というか、通常審査員クラス以上でないと自分で?印は許されないことが多い。
社中によっては、自分で?印してきたらその作品は出品できないと言うのもよくある話である。
艸玄会の場合、以前は前会長の下田先生、又は会長の小生柊雲が最終的に位置決めをして?印をすることがほとんどであった。
しかし、それでは社中のスキルが伸びないと言うことで、?印は柊雲が以前と同じようにしているものの、今年度から雅印の位置はその場にいた県展委員の先生などを含めた全体協議で決めることになった。

それでその雅印は??である。
今県展の会友(無鑑査)以上だと全員雅号印を持っているので問題はない。しかし、そうでない人達は何某かの雅印を?印しておく必要がある。
これが艸風先生健在の頃は、(印を刻してくれる先生を紹介してくれるわけでもないので)基本的に「艸風先生の刻した印」でなければならなかった。
そのために小生・柊雲なども群馬県展の委嘱作家になっていても自用印は持っていなかったという話がある。
それでも艸風先生の晩年に、阿部裕幸先生(当時、群馬篆刻協会会長)が刻した印で許可が出たので実は自用印は県展委嘱作家の頃から使ってはいる。
あらためて「それでその雅印は??である。」
柊雲のように何とか自用印を作れた人はともかく、公募出品時代はどうしたのかというと、艸風先生の「おもちゃ箱」のようなところからその人に合った印を選びだして一時的に代用していたのである。これは、印を作るまで艸風先生の代用印を専用に使うと言うことで柊雲も作ってもらっていた。
これは代用印だから柊雲用が使わなくなれば誰かが使うかもしれないというもの。
柊雲場合、次に使う人が現れる前に艸風先生が逝去してしまったので使うことはなかったようである。
それでその印はその後どうしたのかは全く不明。

しかし、その代用印というのは延々と引き継がれて行くものなのだが、艸風先生からは引き継がれなかった。
その後は篆刻家でもあった井田彰風先生(当時副会長)が10種ぐらい刻し、その後清水保先生(当時篆刻協会の会員)が同じく10種くらい刻し下田和風先生に引き継いだ。
そこで和風先生が20種以上くらい刻したようだが、和風先生の逝去後又この代用印が引き継がれなかった。

そういうことで今年は、柊雲がこの代用印を16種くらい刻し、昨年作っておいたものを合わせるとかなりのものになった。
この代用印は、出品名簿が出てきて印がないとなると即刻作らなければならないもので緊急を要する。
そして、自用印を作った人の代用印は磨り潰して新しい違う印に更新したり、下手に作った印を再度刻したりしている。

こんなので、毎日多忙と言うことになる。
それで現在は既に表具屋に作品は行っていて、新たに印を刻するということはない。
しかし、刻し直すと言う作業は市民展などに向けてしなければならない。
今していない、出来ないというのは単に手持ちの印材がなくなってしまっているという物理的な要因である。



<iframe allowtransparency="true" marginheight="0" src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/htmlbanner?sid=2775002&amp;pid=881116329" marginwidth="0" frameborder="0" height="60" scrolling="no" width="468"><script language="javascript" src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/jsbanner?sid=2775002&pid=881116329"></script><noscript></noscript></iframe>



「中国の大気汚染は国土の4分の1、6億人に影響 環境保護省(産経新聞)」という記事があった。テレビでも散々放映されているとおり、中国の大気汚染には驚くべきものがある。その昔日本でも公害問題がクローズアップされて、マスコミが大騒ぎしたというのが丁度石油ショックの頃である。
その影響でその後理科系離れが進むとともに、新規採用を自粛して企業でのこの世代の凹みが出来、その後の技術革新に支障が出たといわれる。
その大気汚染が問題になる直前の東京オリンピック後、父が単身赴任していた長野市へスキーに行ったことがある。そのとき駅で東京から来た人かどうかというのは、顔を見れば一目でわかった。それはみんな「顔パック」でもしているのかと思うほど「生白い」。特に女性は地方の人のどことなく日焼けした自黒の肌に比べて際立っていた。
そんな東京とはいうものの、多少どんよりとした景色だったが、今の中国の大気汚染とは別物である。
その東京の大気汚染は、それからあっという間に解消して東京の人も地方の人の肌も変わらなくなった。それどころかゴルフ焼けとかいって、より日焼けした人が増えたくらいであった。

その中国の大気汚染の地図を見ると、中国だけではなくインドもかなりひどい。それだけでなく東南アジア全体が大気汚染に見舞われている。
今頃修学旅行も行われているらしい。
中国へ行くのはもってのほかというのはよくわかるが、今修学旅行で良く行くようになった台湾も大気汚染が凄い。
そしてよく見ると沖縄も大気汚染が迫っているように見える。
尖閣諸島の直ぐ側の石垣島は、何とか外れているようにも見えるが別の意味で結構焦臭い。
そういえば、東日本大震災の後の「東京電力福島第1原発事故による放射能汚染」を怖いからと仙台から沖縄・石垣島まで逃げて移住してしまった歌人がいた。
放射能が怖いからと逃げるにしても一番遠いと思われる尖閣諸島間近の石垣島とは驚くのだが、中国の影響は全く恐怖にないようである。尖閣諸島で紛争が起こったら今度は大気汚染も絡んで「東京」まで逃げ帰るのであろうか。
<子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え>(TM)

ところで小生も書団の会長をしているので、雅号を付けてやるということが何回かある。それで散々考えあぐねた上に雅号を付けてやったから、何かお礼でもくれるかと言えば師匠ではないから何も貰ったことはない。
それでも付けてやるのは、東京の展覧会に出品するのには「雅号」が必要だからである。いつぞや白扇書道会での雅号貸与の基準を聞いたことがある。それには競書雑誌で師範の資格を得たらというようなことだったらしい。
但し例外があって、中国へ書団として出向くとき種谷扇舟先生が「雅号がなかったか」と列車の中で気まぐれで付けてしまうこともあったと聞く。
うちの艸玄会での基準は、師匠の横堀艸風先生がどういう基準で雅号を付けたのかは判らない。
これは師匠の気まぐれで、群馬県書道展委員、委嘱作家、一般の区別なく一斉に雅号を与えていたことに出会ったことがある。
そのとき小生は、その選に漏れて雅印も横堀先生に彫ってもらったことはない。

それから代も変わって県展(審査)委員でさえも雅号を持っていなくて、県展委嘱以上は雅号を名乗ると号令を掛けて名乗らせることにした。
それが今は、雅印をある高名な先生に刻してもらうのに際して、あらかじめ雅号を名乗ってしまった方が経費的に安いという安易な選択になった。
特に中央展に出品している作家は、雅号が基本になっていて本名を名乗るのは「かな作家」ぐらいしかいない。

その雅号の付け方というのは、実は決まりがある。
お茶やお花の雅号というのは、流派の文字や先生の雅号の一字と名の一字でという安易なものが多い。
その一方、書道は一般的な雅号の決まりに従って付けることが多い。
横堀艸風先生はどんな風に付けていたかというと、「名」の一字が雅号で使われている文字であればそれを使い、そうでなければ何か違う文字に置き換えて「○風」と付けていた。それで艸玄会では、艸風先生の直弟子でないと「風」は付けられないという「決まり」が何となく出来ている。
それでは柊雲は何故「風」を付けなかったかというと、読み下しの語呂か悪かったからである。
事実、艸風先生が雅号を付けた中に「風」がつかない先生もいて、必ず「風」を付けなければならないという意味でもない。
逆に言えば書団の中で師匠の雅号の一字を取るというのは、当たり前にあるとは言うもの限界がある。
雅号というのは、花鳥風月と建物、住まいから付ける。
そして女性は陰、男性は陽になる。
昔の上級武士が「○○右衛門、○○衛門」と名乗りを付けたのは、騎乗でくぐれる大きな門構えのある屋敷に住んでいたという理由がある。

いずれにせよ長く使って行く雅号なので慎重に考えて行くしかない。

↑このページのトップヘ