新聞社説・正論・主張を読み解く

尖閣漁船衝突ビデオ・媚中度を測る・菅・仙谷政権の自己保身の浅ましさ


文藝春秋2010年11月号に「菅直人だから中国がつけあがる徳岡孝夫/保阪正康」という記事がある。
これは文藝春秋の中吊り広告には載っていないもので本を読んでみないとの部分である。
ここで現首相・菅直人の政治家になった起源から掘り起こして述べている。この菅直人という人物に関しては、何の政治的な意見や信条、理念を感じない、いわゆるイメージ先行の市民運動家という部分を看破している。
要するに、ある程度みんなが集まったところでシュプレヒコールをあげると言うヤツである。
中には、Wikipediaと同じような言い回して「市川房枝の選挙事務所代表を務め、選挙参謀として尽力したことが政界入りのきっかけとなった」とある。
この市川房枝元日本の婦人運動家の参議院議員について、著書に関しては世話になった人物の羅列で何も書いていなかったとあった。
市川房枝氏が東京都知事選挙で「都職員その他に対するバラ捲き」で都政を大赤字にした美濃部亮吉を支持し、参議院選挙では全国区でトップ当選(87歳)をはたした頃どんな人物か調べたことがある。
調べた結果は何も分からないというより「何もなかった」。事実は政治家としても婦人運動家としても既に過去の人物。主張していた政策は粗方既に実現し、タダ気分だが「プロ市民」運動家という実態を現していたように思う。
だから、徳岡孝夫/保阪正康氏の指摘もなるほどと思わせるものがある。
従って、市民運動家出身の菅首相というのは主義主張のない人物というレッテルで間違いない。
以前のエントリーで菅首相というのが、「エリート名門校で5月の連休明けに勉強がさっぱり分からなくなってボーとした顔」の人物と同じ顔と表現した。
今TVで見るとますますその傾向が強くなって、目はうつろできょろきょろして、言葉はおざなりのぼそぼそであった。
「YouTube尖閣漁船衝突ビデオ」に関して、ルーピー氏こと民主党の鳩山由紀夫前首相は「情報流出によるクーデター」と表現しているようだ。
しかし、警察庁、警視庁の文書流出事件に関してこそ「情報流出によるクーデター」に間違いないがこれには言及していない。
常識として、直ぐに日本は「スパイ防止法」や情報の流出に対する処罰に対する法整備を急ぐと考えがちだが、その動きは小生の知る限り出でいない。
理由は、「スパイ防止法」に対しては、法案が出された当時社会党、公明党、共産党他の当時の野党が反対していたから現在の民主党は反対なのであろう。
今となってみれば、当時の社会党はソ連と繋がっていて資金をもらっていた。
そして、他にも中国、ソ連、北朝鮮に情報が流れていると米国から指摘され、細川政権の崩壊の一因を作ったとも言われている。
2010/11/05の「YouTube尖閣漁船衝突ビデオ」流出は、国民の大喝采の元に世界中を駆け巡ったのは6日の4,000人のデモを見ても明らかである。
前回の尖閣問題に関するデモは報道各社が無視した状態になったものの、今回は報道された。
一方、5日の新聞各社の社説その他での「尖閣漁船衝突ビデオ流出」に関しては、驚くほどその新聞社の立ち位置を鮮明にしたのは大笑いだった。
中国寄りの媚中を明らかにしたのは当然朝日新聞で以降、毎日、日経、読売、産経と続く。ここで国民の総意を理解して正常な神経と思われるのは読売新聞以降、精々日経までであろう。
そして、共同新聞の地方紙への配信「社説」では産経に近くなっているから、朝日の異常さは際立っている。
「朝日新聞記者を逮捕=タクシー運転手暴行容疑―警視庁(2010年11月6日朝日新聞)」という事件など朝日新聞の記者の事件が目立っている。


朝日新聞・社説「尖閣ビデオ流出―冷徹、慎重に対処せよ」2010/11/06
毎日新聞・社説「尖閣ビデオ流出 統治能力の欠如を憂う」
日経新聞・社説「迫られる尖閣ビデオの全面公開」
読売新聞・社説「尖閣ビデオ流出 一般公開避けた政府の責任だ」
産経新聞・社説「尖閣ビデオ流出 政府の対中弱腰が元凶だ」

それにしても、媚中度100%と見られる菅・仙谷政権は尖閣ビデオ流出が「菅政権の仕業でない」という証明のために犯人捜しに躍起になっている。
それこそ失態をしでかした小役人が自分の身分を守るために、何かのエスケープゴートを探して責任逃れしていると見られる。
その元々の尖閣ビデオを公開しないというのが、そもそもの誤りだったというのが今では明白に政治判断の誤りとして確定したのにその事を理解しようともしない。
情報を遮断して見せるべきものも見せないというのが、独裁国家の常である。
その情報遮断を実践したのが、元々情報公開を標榜していた革新政党というのは皮肉なものである。
日経その他の社説で、尖閣漁船衝突ビデオが流出してしまったのだから全面公開せよと主張する。当然国民も同じ立場であると思うが、菅政権は公開はしないだろう。
なぜなら、彼ら媚中の「小役人」の頭の中を見て見れば、尖閣漁船衝突ビデオ流出が菅政権の仕業ではないと中国に言い訳をするために公開出来ないはずである。
ここまで来て、全面公開しても体制には影響ないどころかAPECには中国は是非とも出席して日本と会談せざるおえないことになるはずだ。
なぜなら、APECに出席出来ないのなら世界の物笑いになるからである。
逆に言えば、菅政権が譲歩すればするほどAPECの出席の可否は切り札になる。
本当に、菅政権というのは子どもの外交、子どもと商店のやりとりのようだ。


それでいて、尖閣ビデオがこれだけ公開されたのに、犯人捜しを優先して国民の知る権利に対して無頓着どころが国民に対する「警戒」をする。
菅・仙谷政権は、国民を信用していないらしいことは従来からの状況証拠で明らかである。
そのため、民主主義国家でありながら国民の意見を取り入れず、批判には居直り、言い逃れをして責任を取らない。
民主主義国家において、国民から浮いた存在である政権は、既に政権としての存在意義は失われている。
自覚がないのは内向きで国民を見ない民主党という幼稚な政治ごっこということである。

それにしても2010/11/07の朝日新聞社説
「中国経済の課題―格差と不均衡を正さねば」には笑った。
なぜなら、朝日新聞が出来もしない中国の国内問題を論じても何も意味がないことであるからである。
なぜ意味のないことを社説になど書くのかと言えば、日本の国民に対しての中国擁護論である。
発展途上国!!?なのだから、尖閣問題では勘弁しろ‥とね。
しかし、今、朝日新聞に洗脳されるのは尖閣ビデオを見てショックを受けた媚中の人達しかあるまい。



反日中国を中国の国内事情と欺す、ヴェネツィア崩壊と同列の言論の欺瞞


「日本経済新聞社とテレビ東京が10月29~31日に実施した世論調査で、菅内閣の支持率は40%」という報道がなされた。これは9月の代表選挙後「菅内閣では最も高い71%の支持率だった。1カ月あまりで31ポイント下落するのは過去最大だ。」とある。この外交問題に当たっての中国とのゴタゴタ「屈辱の『9・24』」と叫ばれている現実を見るとまだ40%も支持率があるのかと不思議なものである。
菅内閣の仕事ぶりを『評価しない』と回答したのは52%で『評価する』の32%を大きく上回った。理由で最も多いのが『外交・安全保障への取り組み』の28%」と未だに国民の認識が甘いのか不思議なところがある。
なぜなら、今回の中国への対応に関して「評価する」と言う話など聞いたことがない。あるブログでは周囲で聞いて見ると9割は「評価しない」だったという。
ネット世代のうちの方でも似たようなものだったから世代によって違うのだろう。
この世論調査によれば「世代別にみると、30歳代と50歳代の4割以上が中国との距離を置くよう求めている。」と書かれている。やはり60歳台以上の人など新聞やTVニュースしか読まない人などに情報格差があるようである。
なぜなら、NHKを中心とする親中国のTV、ラジオ、新聞はことさら中国擁護に傾いて、中々事実を報道しようとしていない。
それでも中国の「反日デモ」は報道せざる終えないから、この反日デモの理由をつけて日本国民を欺く作業に取りかかっているようである。
日本の左派人士や左派言論がどういう「中国擁護」の動きをしているのかというのは、不思議にもラジオで「エッセンス」として報道されるから実は分かり易い。
10月後半、東京の「親中国・反日放送局として名高い」文化放送。
中国に尻尾を振る人物なら「みそくそ」を厭(いと)わないから「小沢擁護」に邁進していたところ、「反日デモ」を何とかしなくてはならなくなった。
そこで野村邦丸アナウンサーに「中国の国内事情による」と必要もないのに言わせている。そこで「反日デモ」、「首脳会談拒否」、「日本に対する強硬措置」について書かれている社説を見てみてると「中国の国内事情」という言葉がヒットする。
○朝日新聞社説「日中外交―泥沼には入らなかったが」(2010/10/31)「中国内では反日デモが続いており、一部では共産党や政府への抗議も唱えられている。そんなおり、指導部は日本に弱腰と見られるのは避けたいし、党内にも根強い反日の空気に配慮しなければならないのだろう」
○読売新聞社説「日中首脳会談『中国異質論』強めた10分懇談」(10月31日付・読売社説)「首脳外交を取りやめるにしてはあまりにもお粗末な理由と言わざるを得ない。中国国内の対日強硬派の反発を恐れて、理由にならない理由を並べて会談を避けた、とみられても仕方あるまい。」
○日本経済新聞社説「日中関係の難しさ示した会談拒否」2010/10/30「これに対し日本政府高官は、中国側が会談を拒んだのは『中国の国内事情』による、との見方を示した。経緯を振り返ると、日本側の見方の方に説得力がある。」
「中国の内陸部では反日デモが頻発するが、背景には経済格差の拡大など社会矛盾への不満がある。政府が日本に対し弱腰と受け取られれば、反日に名を借りた政権批判が燎原(りょうげん)の火のように燃え広がりかねない。現政権を揺さぶろうとする勢力に付けいるスキを与えかねない、との懸念もあったろう。」
「中国が難しい国内事情を抱えているからこそ、日本は冷静な対応が必要だろう。原則では譲歩すべきではないが、感情的な対立を増幅させるような言動は慎むべきだ。」


○毎日社説「首脳会談拒否 中国は対話再開へ動け」2010/10/31「背景には対日政策をめぐる中国指導部内の対立があるようだ。5月の日中首脳会談で条約交渉開始を認めた温首相は苦しい立場にあるともいわれる。
 しかし、そうした事情があるにしても、今回の衝突事件はそもそも中国漁船によって引き起こされたものである。『日本側が首脳会談の雰囲気を壊した。責任は日本側が完全に負うべきだ』と言うのは全く筋が通らない。」


この中で、日経新聞が突出して「中国の国内事情」を強調する。その上、「感情的な対立を増幅させるような言動は慎むべきだ。」と領土問題や政治問題を感情論に転化している。日経新聞は、元々日本企業の中国進出を煽ったところ「事なかれ主義」に徹してそんなものだろうというところだ。
○朝日新聞は「党内にも根強い反日の空気に配慮しなければならないのだろう」と実は、領土問題と正論を唱える国民に対して、反日デモに対する「配慮」を要請し問題をそらしている。その上「『前原はずし』を望む声も聞かれる。」である。
○読売新聞も一旦中国となると腰が引けるようで最後に本音を漏らしている。
「日本は、いつでも対話に応じる姿勢を維持し、冷静に対処することが肝要だろう。」これは、日本に対して言う言葉ではないのは明らかである。
○毎日新聞はより踏み込んで
「日本側にも注文したい。民主党内で『首脳会談を日本側からお願いする必要はない』との声が出ている。しかし、感情的な発言は抑制すべきだ。自ら対話の窓を閉ざすような言動は日本にとって不利になることを認識すべきである。」


ここで日本に対してというより、国民に対して「対話」「冷静な対応」「感情的な発言は抑制」を言う。
人間怒るべきときと冷静になるべきときというのは自ずからある。
日本の新聞人というのはここ領土問題という国の根幹に関わる時に、「冷静な対応」という消極論というより、いつもの「事なかれ主義」に堕するというのは解せないものがある。


そして、「中国の国内事情」というものを許せ、許されると言うのなら、日本にも国内事情というものがある。
その理論で言うなら日本での「日本の国内事情」も100%許されるはずではないか。
ところが、菅、仙谷政権は「中国漁船との衝突ビデオ」さえ国民に公開出来ない。


とどのつまり「中国の国内事情」と中国を弁護するというのは、単に国民から中国の脅威を薄めるという偽善行為に過ぎない。
それは、あたかもヴェネツィア共和国の崩壊直前、フランスの文筆、図書を禁止した言論統制によく似ている。
結局、フランスのナポレオンが迫るときヴェネツィア共和国の国民は、フランスの実情も内情も知らぬまま臆病者、卑怯者のドージェ(元首)ら貴族の自己保身の犠牲にされたのである。

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左翼バネが露出した終戦記念日・東京裁判史観の読売社説


今年のお盆は土日になったからいろいろと面倒な事になった。お盆の帰省ラッシュも高速道路は1,000円だから何時もの大渋滞でも驚くどころか当然であると言える。
それにしても、今年の靖国参拝の国会議員は多かった。一方、菅政権の閣僚は示し合わせて靖国神社への参拝を見送ったと読売新聞には書かれている。
「超党派の『みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会』(会長・尾辻参院副議長)は、メンバーの41人が参拝した。政党別では、自民党26人(会派離脱中の尾辻氏と衛藤衆院副議長を含む)、民主党11人、たちあがれ日本2人、みんなの党と国民新党が各1人。自民党からは、谷垣総裁や大島幹事長、安倍元首相らも、同会とは別に参拝した。」(読売新聞Web)
昨年は麻生総理は靖国参拝をしなかったのだが、報道によれば今年もしなかったようで、やはり首相にするべき人物でなかった様な気がする。
そんな読売新聞がどんな社説を書いているのかというと非常に妙なものだった。
「終戦の日 平和な未来を築く思い新たに(8月15日付・読売社説)」
それは、全体の三分の二は終戦時のあまり左翼が言おうとしない事実を羅列して、朝日新聞社説のようなどうでも良い社説なのかと思ったら、一転して読売らしからぬ論調になった。
それは、朝日新聞が社説でよく使う手法で事実ごもっともと言うことを書きながら、実際は反対な事を主張する。
その部分はここからで
一方で、日本も過去の誤りを率直に認め反省しなければ国際社会からの信頼は得られない。
 日本は世界の情勢を見誤り、国際社会からの孤立を深めていく中で無謀な戦争を始めた。中国はじめ東アジアの人々にも多大の惨害をもたらした。」

と言うように、一転して日本の自虐史観を振り回すようになる。
先ずその反省をすると言って、70年近く前の何を反省するのかである。その70年前など今の日本国民のほとんどは生まれてもいない。
そして、その「反省すれば」、「国際社会からの信頼は得られる」と言うのであろうか。
又、その国際社会とはどこの国を指しているのか。何故なら今の日本は世界中から信頼される国として評価されている事が何回も報道されている。
多分、読売社説氏が示す「国際社会」とは例の特定アジアという「中国、韓国、北朝鮮」と解釈するしかあるまい。
そう言う観点からすると、次の「日本は世界の情勢を見誤り、‥‥」も単純にしすぎる。
同じように単純なのが「中国はじめ東アジアの人々にも多大の惨害」であって、これも一方的な東京裁判史観の断罪であろう。
‥‥と次に読売社説氏の本性が出る。


「読売新聞では戦後60年を機に、昭和戦争の戦争責任の検証を行った。その結果、東条英機元首相ら極東国際軍事裁判(東京裁判)の『A級戦犯』の多くが、昭和戦争の責任者と重なった。」
「昭和戦争」とは、読売新聞が作った造語である。なぜ正式名称として現在でも政府が認めている「大東亜戦争」と書かないのだろうか。その上「昭和戦争の戦争責任の検証を行った。」のなら米英と戦争状態に突入したのが海軍の真珠湾攻撃であった事を忘れいてないか。東条首相は陸軍大臣と参謀総長を兼任しても海軍の暴走は押さえられなかったと言っているのである。
兎に角、そんなことは問答無用なのが、「東京裁判史観」になる物言いということになる。
そう言うように、筋書き以外の異論を排除すると言うのが「東京裁判」であって、そのままに異論を排除するのが「東京裁判史観」である。
そして次に国民の反対にあって沙汰闇になったものを持ち出す。
今年は民主党政権になって初めての『終戦の日』でもある。菅内閣の閣僚全員が、靖国神社への参拝はしないという。
 菅首相は、靖国神社に『A級戦犯』が合祀(ごうし)されているため、『首相在任中に参拝するつもりはない』と語っている。
 民主党は昨年の政策集で、新たな国立追悼施設の設置に取り組む考えを表明していた。誰もが、わだかまりなく戦没者を追悼できる恒久的施設の建立に向けて、本格的な議論を進めていくべきだ。」
「国立追悼施設の設置」この件に対して、既に菅首相は検討しない事になっているから、多分この社説は大分前の書かれたものであろう。
そして、国民も賛成しないし「わだかまりなく戦没者を追悼できる恒久的施設の建立」など笑止という多くの論文も出でいることだから、なぜこんな事を持ち出すのか不思議なものなのである。
多分、そういう事情を考慮しない又は無視する。これは大新聞としては欠陥だ。
そして最後に結ぶ結論なのだが、「平和」、「世界平和」という言葉が安易に用いられている。
「今年も東京・九段の日本武道館で、政府主催の全国戦没者追悼式が行われる。歳月は流れたが、戦争の記憶は日本人の胸に深く刻まれ、語り継がれている。
 『終戦の日』は、過去の歴史を踏まえつつ、国際協調の下、世界平和のため積極的に行動する決意を新たにする日にしたい。
 そのことが先の大戦で亡くなった人々の遺志を生かすことにもなるはずである。
(2010年8月15日01時10分  読売新聞)」


ここでなぜ「平和」と言う言葉を正確に定義しなければならないのかと言うと「2009年12月10日、米国オバマ大統領ノーベル平和賞の受賞の際の演説」(日本の「8月の平和論」に欠けているもの2010.08.13(Fri)古森 義久)によって、「平和」とは厳密に規定されてしまったのである。
ここで引用すれば
「平和が単に戦争のない状態を指すならば、『奴隷の平和』もある。国民が外国の支配者の隷属の下にある、あるいは自国でも絶対専制の独裁者の弾圧の下にある。でも、平和ではある。
 もしくは『自由なき平和』もあり得る。戦争はないが、国民は自由を与えられていない。国家としての自由もない。『腐敗の平和』ならば、統治の側が徹底して腐敗しているが、平和は保たれている。」


読売新聞の社説を見ると如何に古い自虐史観、東京裁判史観に凝り固まって、現在の日本を見ないという有様とである。
 「先の大戦で亡くなった人々の遺志」は、靖国神社を否定する読売社説とは多分相容れないだろう。妙な馬脚や矛盾を現す社説なのである。


多分、今から30年、40年前以上前に書いた社説をそのまま丸写しにしているのではないかという印象すらある。
但し、40年以上前の読売新聞は、巨人が勝つと一面トップだったスポーツ新聞だったかも知れない。


オバマ大統領のノーベル平和賞受賞演説全文(朝日新聞)

(以下、平和の部分の抜粋)
そこで私は二つ目の点、我々が求める平和の本質について語りたい。なぜなら、平和は単に目に見える紛争がないということではない。すべての個人の持つ尊厳と生来の権利に基づく公正な平和だけが、本当に持続することができるのだ。

 この知見こそが、第2次世界大戦後に世界人権宣言の起草者たちを後押しした。荒廃の中にあって、人権が保護されないのなら平和はうわべだけの約束にすぎないと、彼らは悟ったのだ。


 それなのにあまりにも頻繁に、これらの言葉は無視されている。一部の国では、人権はいわば西洋の原則であって固有の文化や自国の発展段階の中では異質のものである、という間違った主張をもとに人権を維持しない口実にしている。そして米国では、自らを現実主義者と称する人々と、理想主義者と称する人々との間の緊張が長く続いてきた。その緊張が示すのは、狭い国益を追求するべきか、世界中で我々の価値を押しつける終わりのない運動をするべきなのか、という厳しい選択だ。



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