世の中妙な??事ばかり

日本の政治家が中国に位負けする理由


「【公開討論会】小沢氏「真っ白」 首相は書き間違い」と産経新聞Webで報道されている
これは、「(日本記者クラブ)主催者側から恒例となっている揮毫(きごう)」で色紙に菅首相、小沢氏が揮毫した色紙の写真が出ている。
小沢氏の「名前だけ」の方はスポーツ報知にも出でいたが、菅首相の「初心を貫く 平成二十二年九月二日 菅直人」の方はなかった。
ここで産経Webでは「もっとも首相は『初心』の『ころもへん』の点を入れ忘れ、『しめすへん』になってしまった。」というもの。
これではかっての麻生総理と同類ではないかと誰だって思う。
初心の「初」が「しめすへん」ではないのは、「神様」に関係ないからである。
「しめすへん」は、元々「神の祭壇から来た象形文字」だから神に関する。まさか、初心とは神様に祈るわけではあるまい。
初心とは、例えば新しい着物を着たりしての「感じ方」のことで、襟を正すとか、そう言う言葉は着物に由来する。
そんな下らない知識がなくとも、普通小学生でも初の文字は間違わない。
だいいち手が覚えているから間違えることなどないのである。


それにしても、あまりの稚拙な文字は、小学生以下というのはどういう事なのだろうか。
こんな文字を中国の政治家が見たら、「大したことがない無教養な人物」と見るはずだ。
文字のことに関して、「書は人を現す」ともいう。


実際そうなのかと書家の立場で見てみると、書家に関しては「書は人を現す」ことはあまりない。現すとすれば、その時の体調とか心境とかそんなくらいな微妙な違いでしかない。
なぜなら伝統書の場合、あの「本格の輝き」などと看板掲げているところは、カーボンコピーそのままに師匠と寸分違わないと展覧会入選すらままならない。
創作となって師匠とは違う風に書くと言っても、師系から外れることはないのが書道の特徴である。
その「書は人を現さない」のが書家の特徴であるが、それは前述のように師匠がいてその師系にガッチリと固められているからである。
ところが、師系もなく師匠がいない場合。又は書など、ろくに書いた事がない人はそのまま「書は人を現」してしまう。
この「書は人を現す書」を書いてしまう政治家というのは、その時点で失格であるのはここで見ても常識だろう。
それで見れば、民主党の代表戦の二人というのは政治家として失格なのである。


そう言えば、2010/08/30の読売新聞朝刊「輝く女性」と言う覧に「書家 紫舟(ししゅう)さん」と言うのがあった。
そうあの「龍馬伝」の件で手島右卿賞をもらい、あの世界的な大書家T氏を超えてしまった人物である。
その文字に関しては散々評価して差し上げたので述べることはないが、Webで作品の制作過程を公開している。実はその光景を見て「ふふふ‥‥」と笑ってしまうことなのである。
なぜなら、そんな風に書くなと散々指導している事であるからだ。
そして感じるのは、何も知らずに「書」と言うより「ロゴ作家」の道に入ってしまったのではないかと思うことである。
そこで「書デザイナー」と他の「ロゴ作家」の様に名のっていれば良かったものの「書家」と名のってしまったことからややこしくなった。
しかも、本人が言っている通りの全て「ないないづくし」は、自らが決めたことだろう。
書家としての実績がない高校生レベルまでの知識。
高校生くらいまでの書歴なら、師匠と呼べる人もいないはずである。
本人は「書道の先生にもらった雅号『紫舟』を名乗った。」とあるのだが、この「紫舟」とは何を現すのか多分気がついていないのだろう。
そして、「雅号」というのは、大方競書誌の師範(大人)をいくつか取らなければ与えられないと言うのが普通である。中央や地方の公募展で入賞、入選があって、雅号を名のらせてくれることもあるもののそれは師匠によりけりなのである。
ないないづくしは、公募展の実績知識、創作の知識、書家の友人達の欠如、そして何度言う様だが、師匠の欠如である。
その師匠がいなければ「自己流」と言うことで、常識として相手にされないのである。
ついでに言うと、姓がない、出身その他全てを明らかにしていない。
こういうどこの誰だか分からない「名無しの権兵衛」というのは、またしても書家の範疇に入らない。
なぜなら、ある程度のレベルの書家ならその辺に置いてある書家の名簿を見れば、一目瞭然、生まれ年、出身校まで分かるのである。

それにしても、読売書法会幹事の木下秀翠(真理子)先生、読売新聞夕刊にはもっと易しく書いてよね。



民放連・国民をバカにした地球温暖化啓発スポットの放送



FM放送を聞いていると時に妙な放送が聞こえていくことがある。
それはこんなもの。

民放連・地球温暖化問題啓発ラジオスポット
「海面水位上昇で潜水出勤編=パパ編」 (20秒)
(近未来のリビングを連想させる音)
のぞみ
「おはよー」
ママ
「遅いわねえ~」
パパ
「お、じゃあ、行ってくるぞ!」
のぞみ
「いってらっしゃーい」
ママ
「サメには気をつけてね~」
パパ
「うっし、行くかあ」
SE
水を進む音
パパ
「こんな通勤は嫌だ!」
Na
「温暖化が進めば、近い将来、水中通勤をしなきゃならなくなるか
も」(パパNa)
パパ
「まだ間に合う!」
家族
「ストップ!温暖化。」
「民放連です!」

その他、「ママ編」、「娘編」と「2010年04月12日 平成22年度地球温暖化問題啓発スポットの放送について」というWebサイトを見ればPDFで、又TV版も公開されている。



この「地球温暖化啓発スポットの放送」というのは、パロディであると考えればそうかと思える節もある。しかし、「地球温暖化問題」という政府が推進しようとしている国民の生活に直結している「真面目な議論」に対しては、いささか不適切なのではないかと思われる。
この「地球温暖化啓発スポットの放送」に対しては、既に多くの批判があるものの臆面もなく行われているというのは、国民を愚弄している事なのではないだろうか。
たとえば、冒頭の「海面水位上昇で潜水出勤編」。
地球が温暖化すれば海面が上昇するという話は、随分前に否定されていること。
その海面が上昇するという話は、北極と南極の氷が溶ければ「体積が増える」という小中学生の理科の教科書すら理解していない馬鹿さ加減である。
この理論で言えば、コーラに氷を入れて一杯にして氷が溶ければ、コーラが溢れ出すと言うことになる。実際、そんなことはないはずなのは誰だって分かる。
それを、「海面水位上昇」とは国民は「バカだから」知らないのだと、制作者や民放連は思っていると言うことが察しられてしまう。

「異常気象で自然の猛威買い物編=ママ編」
「温暖化が進めば、近い将来、異常気象の中、ロボットに乗って
買い物をしなきゃならなくなるかもよ」(ママNa)」
この異常気象と言われるものが「地球温暖化問題」と関係あるのかも疑わしい。しかも、「ロボット」など民放連の言う二酸化炭素排出の元凶だろう。



「気温上昇で砂漠通学編=娘編」
「温暖化が進めば、砂漠の中を通学しなきゃならなくなるかも!?」
(のぞみNa)」

これも「地球温暖化問題」とは関係のないあまりの馬鹿馬鹿しさではないか。
こういう組織の裏側の心理というのは、小さな偽善ではないのだろうか。
民放連の言う「地球温暖化問題」が本当なら、この民放連こそ国民の一人一人の生活より余程二酸化炭素排出の元凶である。
それで、こういう取り組みの「私は地球温暖化啓発をしています」という偽善を行って体裁を取り繕うとする。
そうすれば、国民を騙せると国民をバカにしているとしか思えないもの。
こういうのが、「私が一番賢い」と思っている日本の病根なのではないか。
そして、そのエリート意識というのはなんと戦前の帝国陸軍の参謀、‥‥幼年学校、士官学校、陸軍大学と硬直した頭脳と全く変わらない。



今の日本経済が回復しないのも、自分の頭で日本経済を分析出来る経済学者が一人としていない。
そして、その証拠に日本からノーベル経済学賞を取ると言うような経済学者は皆無、と証明されているようなもの。



全日本高校・大学生書道展の存在意義を問われる巨大偽装の実態

「書道不正出品:私立大分高の全応募作品が失格に」(毎日新聞8月10日付Web)と言う記事で以前から話題になっていた展覧会の出品偽装。
2010/08/17の地方紙には「大分高、書道展で不正」、「人気漫画モデル校 出品作に同じ印影」と言う題で大分高が16日、記者会見をしたらしいことが書かれてあった。
これは共同通信(上毛新聞)の記事だと思うものの、主催者である読売新聞には一言も書かれていない。
しかもWebで載っているのは朝日新聞毎日新聞という体たらくである。
この記事による凄まじい偽装というか出品点数のテンプラの実態が明らかなのである。
そして偽装は、「今年と昨年分」も偽装したとなっている。
これは、出来心でやったと言うようなものではなく、長年の慣例として続けられてきたものだとどう考えても思われるものである。
そして、昨年の1,266点から倍増の2,487点というのは異常すぎる。そして、今年の出品状況が書かれているのが興味深い。
その出品の内訳は、
漢字‥‥‥940点
かな‥‥‥683点
調和体‥‥617点
篆刻‥‥‥247点‥‥‥…総点数2,487点。
このうち実態として明らかになっているのは、篆刻は40種類、40人分。(毎日新聞)
「実際に出品した書道部員や一般生徒は計273人」
「団体賞は出品点数に応じてポイントが加算する仕組みで、各部門への出品は一人1作品に制限」
この様に報道されてることから、単純に実出品点数の最大値を算定してみる。
単純に計算すると、273×3+40=859点という数字か最大点数である。
なんと1,628点が水増しなのである。
その実数を部門別に見てみると尚面白いことに気づく。
漢字‥‥940点-273(実人数)=667点多い。
かな‥‥683点-273(実人数)=410点多い
調和体…617点-273(実人数)=344点多い
篆刻‥‥247点-40(実数)=207点多い。
これは「書道部員らの試作品に別の生徒の名前を書いて出品していた」と書かれている。
高校生の書展というのは、臨書が多いために作品はほとんど同じものだから、単純に考えても初めの頃に書いた失敗作に他人の名前を入れて水増しするというのは容易に想像がつく。
そして、高校の規模というのはどんな高校でも全生徒数1,000人内外と言うより1,000人を超えないところが多い。
それで、940点というのはほぼ全校生徒が出品した計算になるから常識的に考えられない。その上、3部門出品者が6-7割と言うことであれば、まああり得ない話しだ。
又、昨年の1,266点も不正だというのだから、実態は800~900点が限度であって1校で1,000点以上というのは疑わしいのが実態ではないか。

こんな風に考えてくると、この問題は氷山の一角なのではないだろうか。
なぜなら、昨年の多数出品点数都府県を見ると優秀校が出でいる福岡県は1,173点。
多分そのまま一校分かもしれない。
こんな風に考えると、全日本高校・大学生書道展の出品方法や団体賞の与え方にも問題が生じる。
それで多量出品しても団体賞が来ないとなれば、出品する意味を持たないと考えるかも知れない。

いずれにせよ、主催者側は薄々知っていても確証がつかめなかったと言うのが実態だろう。臨書展なら、先ず見分けるのは至難の業であるからだ。
今回篆刻で足がついた、篆刻というのはやはり中々難しいものと再確認せざる終えない。
それなら、「同展の団体賞は、出品数10点で1ポイントが加算される。」と報道されているが篆刻はポイント3倍とか10倍にして奨励するのが良いのではないか。



前代未聞・第15回高大展不正見つかる・大分高全作失格 2



この件は8月10日の読売、毎日新聞の記事に掲載されたことで表沙汰になったが、毎日系の「書の甲子園」・「国際高校生選抜書展」にも出品しているとのご報告を頂いた。
それで「国際高校生選抜書展」の昨年の図録を探してみたところ見つからなかったが、「第14回全日本高校・大学生書道展」の方は、(社)日本書芸院から新聞(?)が送られてきたので掲載してみる。Img917_2



それを見てみると、高校の部での団体賞は9年連続「大分高校」が受賞している。
それで出品点数はというと大分県が最多で1,266点。
今回問題になった第3部篆刻は、856点である。
それが今年の出品点数は、同校から2,487点、そのうち問題になったのが篆刻247点。
このことから見て、昨年の同校の出品点数は、大分県の数字と同数なのではないだろうか。
いずれにせよ、昨年の倍の出品点数というのは異常すぎるものである。
毎日新聞には



「日本書芸院によると、同展は出品作品数に応じて団体の点数が加算される。同高は前回、篆刻241点など計1230点を出品。今回は倍近い作品を出していた。過去の出品作品についても調査するという。」Img9182_2







と書いてあった。参考のためにいろいろ調べてみると私立大分高校(大分市明野高尾1丁目)というのは、映画「書道ガールズ」のモデル校だった。



書道パフォーマンス甲子園 大分高がV



Img918


Img9172






前代未聞・第15回高大展不正見つかる・全作失格

読売新聞Webに「全日本書道展に不正出品、大分高を失格に」と言う記事があった。
記事の内容は、
「同校からは2487点の応募があり、今年7月の予備審査で、篆刻(てんこく)の部で同じ印章が複数の作品に使われていたことなどが判明したという。」
ことで詳細は分からない。
日本書芸院、読売新聞社主催の「第15回全日本高校・大学生書道展」というのは、要するに読売書法展の関係であって、毎日書道展の関係は通称「書の甲子園」・「国際高校生選抜書展」と言って今年で18回を数える。
関西で行われる毎日の高校生書道展に対抗して開催されているのが、この「全日本高校・大学生書道展」といういわば因縁付きの書道展であると言える。
ここで注意しておきたいのは、読売系が大学まで含めているのにたいして、毎日系は高校生対象。
18歳以上は共に本展の読売書法展、毎日書道展に出品可能となっている。
そこで高校生や大学生の書道展出品料はどうなっているのかというと、こういう学生展は共に無料。
一方、読売書法展は年齢関係なく14,000円。毎日書道展はU23と言う分野で出品できて5,000円。
毎日のU23だと一般公募とは別審査、別の賞になるのだが、規定を読む限り入賞は「入賞カウント」としてカウントされるようなのでかなり有利なものなのである。
こういう事を見ると、大学生が出品してもあまりメリットを見いだせない「全日本高校・大学生書道展」と言うことになる。
従い、大量作品を出品できる高校などがメインというものだろう。しかも多く出しても出品料は無料なのだから。
それで今度の不祥事。
そのまま読めば、篆刻の作品で同じ印章を複数の名前で出品したと言うことであろう。
しかし、高校生の臨書や篆刻と言うものは、臨書は一年間同じものを「反吐が出るくらい」書くという。
それで書道が嫌いになって、大学では書道など二度とやりたくないという学生が多いと言うからこういう書展というのは功罪が多い。
そして、その篆刻なら、見本の篆刻作品をまねる、即ち模刻、そっくりそのまま刻すと言うことが行われる可能性もあるというもの。
そうだとすると、全くそっくりなものが複数出でも不思議はない。それが同じものだったとは苦笑せざる終えないが、多分元の印もほとんど同じだったのかも知れない。
それで分からないから良い方の印章を使ったか、真実は良く分からないと言うのが本当だろう。
いずれにせよ大量に出品すれば、良い賞がもらえる。こういう書道展の体質を表した事件と言えるだろう。多分、大分高はもう高大展には出品することはないかも知れない。
いっそのこと、よりダイナミックで模刻など許されない毎日系の書の甲子園に代えれば問題はないとはいうものの、教師が読売系ならどうしようもないというものである。


毎日新聞の詳細が出ていた。

「日本書芸院によると、不正が見つかったのは、同展の4部門のうち篆刻(てんこく)の部。出品した247点のほとんどを、複数の篆刻を組み合わせて一つの作品のように偽装していたという。同高によると、実際に彫ったのは40点だけだったという。」

普通はこんなことはしないだろうねぇ~~
ホントびっくり。



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