映画、書評など

儲けすぎた男―小説・安田善次郎を読む・前橋の歴史


「安田善次郎(1838~1921)実業家・銀行家。日本橋の両替店「安田屋」から金融業を成長させ、一代で安田財閥を築いた安田善次郎。金融・経済界の発展だけでなく、東京大学安田講堂の寄贈など社会事業にも貢献した銀行王の知られざる生涯を、厖大な日記・手控を駆使し克明に描き出す。」(安田善次郎―果報は練って待て・(「BOOK」データベースより)

儲けすぎた男―小説・安田善次郎

安田善次郎の伝記を探してみると、最新のものまで数々ある。
それは、上述のデーターベースに書かれているとおり「厖大な日記・手控」と言うだけでなく、 安田善次郎本人の書作、「富之礎」、「克己実話」、「意志の力」、「富の活動」やその他膨大な記録によるところが多いようだ。
この「儲けすぎた男―小説・安田善次郎」は、近刊と言うこともあって以前に出された安田善次郎の伝記の一部を作品としている。
それは、「東京大学安田講堂を寄付した人物」と冒頭に上げて、安田講堂の由来を説明して読者の興味を引くものである。
しかし、書かれているのは富山の田舎からで出来て、露天商の銭両替屋から安田銀行を作るまでである。大方明治13年(1880年)頃までの話。
江戸から東京に時代が移るときの大変動期、この安田善次郎の様な人物は日本中に沢山いた。実際はこの安田銀行が出来てからの後がその他の「旭大尽(あさひだいじん)」と言われた人達との違いである。
この「旭(朝日)大尽」という言葉は、小生も知らなかった。この言葉が出たのはもう随分前に、ある税理士が揶揄して言った事からである。
予測がつく事は「朝日将軍(旭将軍)」・木曾義仲である。
寿永3年(1184年)1月15日、征東大将軍宣下とあるから、正真正銘の将軍になったものの敗死(討ち死に)。それで一夜将軍というような意味合いをものものである。
即ち、「旭(朝日)大尽」とは一夜成金という意味であろう。
その一夜成金たる朝日大尽というのがこの安田善次郎の明治13年頃の話である。
少し話が逸れるが、明治14年、1881年という年。
この年は小生が住む群馬県前橋市にとっては象徴的な年になっている。
それは、「1881年に正式に群馬県庁が前橋に置かれました」(前橋リビングガイド・前橋市の歴史)とある。
前橋市が県庁所在地になったのは、松平氏の厩橋(前橋)城があったからではない。
確かに最初は前橋に県庁があったが、その後高崎に一時的(臨時)に移されたときがあったのである。
高崎も高崎城の堀が今でも残っているとおり、城郭都市で当時としても前橋に劣ることはない。但し、当時は生糸の生産地として前橋は特に活況を呈していたとは事実である。
そこで、生糸商人の下村善太郎氏(初代市長1892年)が、前橋に県庁所在地を戻す運動をして、中央官庁と掛け合い100,000円を用意すれば県庁を前橋に定めるとされた。
そこで、下村氏は現金10,000円を出資。
あとの90,000円をその時の「旭大尽」に出資を募ったのである。
(現在の2億円くらいか、ちなみに当時の安田銀行の資本金は20万円。但し安田善次郎総資産62万円超)
実は、小生の先祖の其次郎翁がその大役を引き受け、自らも5,000円を出資し募金を成し遂げたのである。ちなみに其次郎翁は公園整備など当時の前橋市の貧弱な財政事情を鑑み、不動産を買っては寄付を繰り返したもののその名は残っていない。
その後の旭大尽は、戦後のGHQによる財産税(税率90%)でほとんど破綻(物納により)し、その寄付を拒否した「不動産金融の高利貸し」が現在まで残ると言うのが実態なのである。
従い、小生の先祖のことを言われてsyuunの家は明治の「旭大尽」だったと馬鹿にされたのがあの税理士の言葉だったのである。
群馬には山崎種二という元の山種証券株式会社を起こした人物がいる。
米相場の相場師から証券会社を起こしたものの、1893年(明治26年)生まれで後世代になる。
それにしても、この安田善次郎の金儲け、金の儲けすぎは尋常ではない。
戦前の四大財閥の内、小説に出で来る三井財閥は江戸時代からの幕府御用の本両替商。安田善次郎は、単なる銭両替屋にすぎなかったし、三菱の岩崎弥太郎は政商として新政府に取り入っていたはずである。
この岩崎弥太郎が巨万の富を得るのもこの安田善次郎が大儲けした「各藩が発行していた藩札を新政府が買い上げ、藩札を大量に買占め莫大な利益を得る。(ウィキペディア)」のも同じ。
但し、大久保利通の死後、明治14年(1881年)には政変で大隈重信が失脚し、福沢諭吉の慶応閥と組んだ岩崎弥太郎は政府から排除される事は書かれていない。


元々金融という直接金に係わる事というものは、何時も妙な事が多いと共に儲けすぎという事が多い。
あの楽天でさえ、楽天市場という架空商店街よりもクレジットカードや銀行、証券などの金融に力を入れていると言うことから見ても「胡散臭い」という感じは否めない。
そして、安田善次郎は、露天の銭両替屋から店を持っても両替の行商するワケだが、こんなもので大金持ち(旭大尽)になれるはず無いのが常である。
不動産屋の話で、一見して儲かりそうなものだが、真面目に誠実にやって一生かかって自宅の一軒が持てれば大成功した口なのだと言う。
明治維新や戦後の混乱期でもない現代では、どこの世界でも一攫千金や人を泣かせないで大金持ちになるなどいうのは皆無に近いと思われる。
だから、この安田善次郎も普通なら単なる銭両替屋、そして銭両替屋が成立しなくなった以後は乾物、鰹節屋で終わってしまうところ。
それが、幕府の金貨改鋳に絡む「古金、古銀の回収」による大儲け。
「太政官札の買い占め」、「公債、秩禄公債の買い占め」と普通の人なら一生に1回ありつくかどうかの大金を三度も経験していることである。


種々の伝記や記録を読むと、人というのは一生に一度はその分に相応(ふさわ)しい大金を手にする。
それが、会社員などのの退職金であることも多いだろうし、そうでないこともある。
但し、人生のどの時期でその大金を手にするのか、それによって人の人生というものは変わってくる事がある実態を実感させられる。
しかし、何時の代の常識でも血気盛んなときに大金を手にするときなどは皆無に近い。
大方、もう何もすることがなくなった引退の時期の手にする退職金。
大金持ちになるには年が取りすぎてた時期。そして、それで事を起こして成功したと言う話はほとんど聞かないのが実態でもある。
それにしては、安田善次郎の大金を手にした時期というのは「金持ちになれ」と天が差配しているように思えてくる。
第一銀行への出資を避けて破産を回避したのも、安田善次郎の先見の明ではあるけれども、
「天は自らを助ける者を助く」とはよく言ったものである。

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「ここがおかしい、外国人参政権」井上馨著を読む 2


前論考で多少脱線した。
民主党の政治家というのが多くの人達を率いる指導者というのではなく、自らの理念を優先するあまり、後についていった人達を犠牲にするかも知れないと言う可能性について述べた。
そして、そこには国のため、国を守るために自らを犠牲にするという精神は見つからない。
それは、自民党の中のリベラルを拡大したクーロン政党であるから、自民党の中にも見受けられるとはいうものの民主党ほどの確信犯ではない。
そして、本題の「ここがおかしい、外国人参政権」井上馨著を読む、に戻れば民主党が「憲法に規定する住民」も外国人を含めても良いとするもう一つの根拠が、地方政治は国権たる中央の政治に直結しないと言うものであった。
しかし、沖縄の普天間問題はその無謬性に疑問詞がつき、普天間移設先の名護市や沖縄県の受け入れ問題は直接国政に影響することになった。
この井上薫氏の著書では、「園部裁判官の空しい弁解」と題して、最高裁判決を書いた裁判官の判決文章にいたる内情を公開された朝日新聞の記事(平成11年6月24日、『私の見た最高裁判所』)。
そして、自らの最高裁判決の蛇足部分を否定した平成22年2月19日産経新聞の「園田逸夫元最高裁判所判事の発言」を紹介している。
それによれば、判決は在日韓国人などに対する「政治的配慮」があったとし、「参政権付与法案の政府提出は賛成出来ない」としている。
本書では述べられていないが、この蛇足部分は「俗論」としてこの園部裁判官が別の冊子で述べているのである。
こういう事から、民主党の「外国人参政権の実現」の根拠は最高裁判決を書いた元判事から否定され、地方参政権も国政に直接関係することが普天間問題で明らかとなり根拠がなくなった。
よって、民主党が「外国人参政権の実現」を持ち出すのが困難との位置づけている。
その他、「暴挙への対抗策」として外国人参政権が実現した場合に、いわゆる左派とか市民派とかが多用する「住民訴訟」を提唱している。
外国人参政権の「禁止説は裁判官の常識」と題して一節で書いてあるとおり、住民訴訟裁判で負けることはないと述べている。


この「ここがおかしい、外国人参政権」の本は、最高裁判決を根拠として「外国人参政権の実現」を目差す人達に対しての反証をして完膚無きまでに打ちのめしている。
しかし、今の民主党というのは議論や論理、事実を無視して正論を廃し密室で政治を進めようとする。
小沢氏とて、検察審査会に対して「素人が‥‥」という天に唾する発言。
今の民主党というのは、所詮民主主義政党ではなく独裁政党である事をあからさまに示していると言えよう。



「ここがおかしい、外国人参政権」井上馨著を読む 1


ここがおかしい、外国人参政権 (文春新書)
民主党代表選挙も何やら混沌とした嫌な雰囲気を醸し出している現在である。
今の民主党は、自民党の悪いところばかりを集めたようなクーロン政党で、小沢氏はこの「外国人参政権の実現」を目差していたはずである。
その外国人参政権問題も参議院選挙で民主党が敗北したためにトーンダウンしている感がある。しかし、国民の知らぬ内に、こそこそと妙なことをするのが民主党などの左派政権の特徴でもある。
それは議論をさせず、論点を誤魔化し「知らぬ存ぜぬ」で結論を出す。やり方というのは、あの朝鮮学校の授業料の無償化のやり方に違いない。
この国民の権利に係わる事は法律として国会を通さないと難しい。
しかし、日本の国には国会を通さなくても事実上の法律として機能する種々の事柄がある。
例えば、あのバブル崩壊の直接の原因となった「通達」。
それも「局長通達」といういわゆる業務命令の様なものだった。
その他政令や大臣告示。あの閣議決定の「村山談話」も田母神幕僚長を更迭出来たのだから今や法律と同じある。
閣議決定以下の「官房長官談話」でさえ法律と同じ効力を有し、教科書検定を拘束したから、日本の国は本当に法治国家かと思えてくるものである。
さて、この「ここがおかしい、外国人参政権」というのは、民主党が外国人参政権成立させようとする根拠の最高裁判決を解説し、分析して事実上完膚無きまでにその蛇足性を暴いている。
この筆者井上薫氏の「蛇足判決」に関することは、本文にも書かれているとおり
平成20年5月24日、読売新聞の「論点」欄に「弊害が多い司法の越権『蛇足判決』の違憲判断」で、この「蛇足判決」が全国区になったと書かれている。
筆者は読売新聞の記事が「私の著作の中でしばしば蛇足判決理論に触れていましたが、それとは全く桁違いの大きな普及効果があったといわざるおえません。」ど自画自賛している。
確かに、「蛇足判決理論」はよく知られるようになったものの「蛙の顔に何とやら」と言うように「外国人参政権の実現」の推進には何ら影響していない。
従い、昨年民主党政権が発足して当時の小沢幹事長は、最重要法案の一つとして掲げていたはずなのである。
この蛇足判決の特徴は、判決は三段落で成り立つ。
主文という結論を導き出す第一段落。その理由としての第二段落。そして結論の第三段落という。
そして、第一段落と結論の第三段落は一致するものの、第二段落が結論と矛盾すると言うのが蛇足判決という。
こういうふうに、解説して問題点も指摘する。
それは、外国人参政権推進派の主張である「憲法93条二項にある『住民』という言葉」の解釈であるという。
推進派は、「外国人もこの住民といわれる状態になりさえすれば、地方参政権者になる」という主張である。
昔大学で教員免許を取得するためには「日本国憲法論」の講義を取らなくてはならなかった事があった。実際は、在学中に履修の必要なくなったというもののほぼクラスの全員が履修した。
そこでの参政権その他憲法上の権利は、全て国民の権利、義務であって、国民でない外国人に適用されるなどと言うのは常識の外であったはずなのである。
だから、例え「住民」と書かれていても日本国籍を持っている住民を表すのは当たり前なのである。
その当たり前の論理をひっくり返したのが、平成7年2月28日、最高裁第三小法廷。
ここでおかしいと思うのは、大法廷ではなく、小法廷なのである。
大法廷というのは、こういう「外国人参政権の実現」などの憲法解釈に関わるときに必ず開かれるもので、小法廷では憲法判断はしないものである。


民主党は、参議院選挙前後になって取りあえず「外国人参政権の早期実現」は諦めた様な雰囲気があった。
それは、民主党が平成7年最高裁判決を根拠として「外国人参政権の実現」をめざし、憲法に書かれている「住民」に外国人を含めても良いとするもう一つの根拠も示していた。
すこし話は逸れるが‥‥‥
週刊現代2010/04/17日号「大橋巨泉・今週の遺言」の場合」、「週刊現代コラム「大橋巨泉・今週の遺言」の妄言」と題したエントリーで、「永住外国人の参政権反対よりも、日本を住みたくなるような国にしようよ」という大橋巨泉氏の偽善ぶりを暴露しておいた。
その後種々の関連本を読むうちに、大橋巨泉氏がカナダやオーストラリアを捨てて、なぜニュージーランドに移り住んだのかがうっすらと理解出来た。
しかも「参政権問題」に関しても嘘、虚言を吐いて全く別の観点から述べてると気がついたものであった。
月刊「正論」10月号に「姜尚中研究II」「夢見るカン様と自己欺瞞の精神」鄭大均、という記事がある。
ここで姜尚中氏は、「不遇の人々の共同体」とか「ゴーリキーの『どん底』のような光景が日常的に繰り返されていた。」と著書「在日」に書かれていて、いかにも自分は日本人に虐げられ、悲惨な状況から今日があるような書き方をしている。
それに対して、鄭大均氏は「在日二世といっても多様な人間がおり、カン様のように順調に私立大学に入学するに十分な経済力をもつ在日家族もいれば、カン様より成績優秀でも大学にいけない在日もいるし、もちろんそういう日本人だっている。」と書いている。
小生Syuunは、この「カン様」と同世代の人間だからこういう部分は良く分かる。
それは何かと言えば、当時の早稲田大学などはかなり金がないと進学出来ない大学だった事である。しかも金の掛かる東京暮らしだ。
そして、一般の日本人というのは私立大学に行けないから年間授業料12,000円の国立大学へ行った。それもほとんど駅弁大学である。
そして、そこには奨学金をもらい塾の教師、家庭教師などのバイトで仕送りなしで学生生活を終えた人達もいた。
学校生協(学食)で昼飯が100円で食えた時代の話である。40万円そこそこで日産サニーが買えた時代。100,000円は如何に高額な金額だったか。
早稲田の授業料はいくらぐらいだったのか正確なところは知らない。東京理科大が授業料15-6万円だったと言うから30-40万円くらいはしていたはずである。
「カン様」というのは、貧乏暮らしという感覚とは相当ずれていたと言うのが分かろうと言うものなのである。
逆に言えば、悲惨さも惨めさを強調する「カン様」の様なのだか、実態は当時の日本の国で中流の上という経済力の筈だったとは唖然とさせる。
ドイツ留学の話や私立大学の非常勤講師の話などが出で来る事から見ても、生活には苦労しなかった裕福さのふしがある。
いずれにせよ、こういう自身の経歴や行動に関して「嘘や虚言」が混じる大橋巨泉氏や「カン様」の様な人物というのは、どうも胡散臭いと思われてならない。
過去の経験からいえば、こういう人達に後について行くと彼ら自身を守るために、捨て駒にされてロクナ事がない事は間違いない。
考えてみれば小沢氏の秘書も捨て駒にされたことを思い起こすものだ。
そして、そう言う人達の集まりが民主党であるとすれば、民主党を守るために国民を捨て駒にする、見殺しにすると言うこともあると言うことである。
         
つづく

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「ブラインド・サイド アメフトがもたらした奇蹟」を読む


「ブラインド・サイド」これはアカデミー主演女優賞の映画「しあわせの隠れ場所」の原作である。
この「ブラインド・サイド」の題名は、アメフトの言葉の一種である。実際、その言葉の意味を解説するような章が延々と設けられていて、アメフトの歴史書かと思わせるのでヘキヘキする。
この主人公のアメフトでの立ち位置は、QB(クォーターバック)という攻撃の起点となる選手を守る位置のある。
又、ボールを持って走るRB(ラインバック)などを相手側のタックルから守るような陰の仕事をする選手なので一般には目立たない。
従って、モデルである「マイケル・オアー」という選手を本の監修者である河口氏が知らなかったという位であり、NFLという最高レベルでは平均的な選手であると言い切っている。
しかも、こういう境遇でアメフト選手になる人物は多く「NFLのドラフト一巡選手だからこそ本のソースになる」と書かれている。
アメフトなどは、日本では余り知られていないし体格的に日本人には無理だと思わせる。こんな事を小説の感想の冒頭に書かなくてはならないほど、この小説は主人公のマイケル・オアーの事ではなく、アメフトの説明、歴史、ディフェンシブラインマン、ブラインド・サイドの重要性の解説をする。
「第1章背景」は映画にも出てくるものの直接物語とは関係がない。続く「第2章フットボール選手の市場」も半分はまたアメフトの歴史になる。
それで第3章、4章と物語が始まったかと思うと第5章でまた歴史になる。その他9章、10章でも歴史になって、416ページの約四分の一以上がアメフトの歴史なのである。
しかし、この本を読めば映画のストーリーでカットされた部分の意味や辻褄の合わない部分が理解出来る。
映画では突然スカウトマンが出来たり、主人公マイケル・オアーが突然アメフトの名選手になったりする。
映画の冒頭では、「NCAAの執行部部長補佐のジョイス・トンプソン」という人物の事務所に出向くわけなのだか、これもおかしな物で原作本ではこの人物がテューイ邸(100万ドル・一億円)に調査に来る。
このテューイという人物が自家用ジェットを持つくらいの実業家である。
但し、総資産は一億ドル(約100億円、今円高で83億円)に満たないから米国基準の富豪には入らないものの、総資産は50億円を軽く超えると言うから充分富豪のうちである。
種々の辻褄が合わないところ、主人公のマイケル・オアーはブライアクレスト・クリスチャン・スクールに入学のは高校二年から。
成績GPAは、0.6。
入学時にFという落第点が8つあって、このために3年でAとBばかりを取って成績優秀者に時々名前を連ねても最終GPA2.05。
NCAAの最低基準は、GPA2.65で履修科目も残っていないからNCAAの奨学金を得るのは不可能。
映画では、その抜け道を不都合だからと高校だけの事にしてしまったが、実際の抜け道は本に書かれている。
だから映画で描かれている描写というのは、かなり綺麗ごとである。
本では、大学1年まで書いてあるとあったが単なる箇条書きにすぎず、がっかりした。
原作本では、何回も書くようだがアメフトの歴史的な描写はいくらでも書かれるものの、主人公マイケル・オアーのアメフトでの活躍シーンが少ない。
映画の方が実写と実際のマイケル・オアーとテューイ一族の映像があり、本より詳しかったというのは妙なものである。
そして、実写でも良く分かったのはコリンズ・テューイというブライアクレストの同学年のテューイ家の人物。
映画では美人女優が演じていたが、実際の「コリンズ・テューイ」は、小説に「あらゆるミスコンで優勝し」とあった。
実際の映像でも演じた女優より柔らかで、上流階級に相応しい際だった美女だったし、家庭教師役の人物がよく似ていたのには驚いたものであった。

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ブラインド・サイド アメフトがもたらした奇蹟




ブラインド・サイド

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映画「しあわせの隠れ場所」(DVD)を見て

映画「しあわせの隠れ場所」は、マイケル・ルイス著のノンフィクション「ブラインド・サイド アメフトがもたらした奇蹟」を映画化したと言うことである。

ブラインド・サイド アメフトがもたらした奇蹟




米国人が好きな一つのサクセスストリーで、映画自体は「第82回アカデミー賞主演女優賞」、「ゴールデングローブ賞:主演女優賞 (ドラマ部門)、放送映画批評家協会賞:主演女優賞、全米映画俳優組合賞:主演女優賞」というサンドラ・ブロックの女優賞総なめの作品となっている。
ストリー自体は、「全米アメリカンフットボール・リーグNFLのマイケル・オアー選手の激動の半生。もっとも貧しい家庭出身のホームレス同然の生活から、アメリカン・フットボールの有力プロ選手になった少年の実話を映画化した感動的な人間ドラマ。」というWebでの説明で書けば終わりである。
そこに、裕福な白人の里親の出現や米国の名門私立高校、アメフトの環境などがあってなにかほろりとする映画でもある。
映画自体は、高校卒業の頃の話から一挙に2年前の私立高校に転入させる場面に戻る。
こういうカトリック系白人の名門私立高校に、ホームレス同然の黒人生徒が転入学すると言うのも日本ではあり得ない妙なところがある。
米国では30年位(?)前に、有色人種の人達に積極的に奨学金を与えて大学に行かせるという制度があった。それによって、今ではオバマ大統領の様に多くの学者、政治家、軍人、弁護士などに有色人種が進出し、今では黒人が無教養で貧乏という話でことではなくなった。よく言われるのは、気をつけるべきは貧乏な黒人や白人というのだそうな。
実際のことは原作を読んでみないと何とも言えないものの、そう言う名門校に入ってしまったために、上流階級と言われる富裕な人達に出会う。
ここで思うのは、どんなにスポーツで有望選手になりそうでも勉強が出来ないとクラブにも入れないと言うことである。
高校に入ったときの学力はGPA(Grade Point Average、グレード・ポイント・アベレージ・学生の成績評価値)0.6。(F)‥‥前の公立高校評価は(大甘のD)
要するに落第点で、これだとアメフトにも参加出来ないと言うことなのだそうな。
それで、徐々に勉強をさせて1.75(B~C)程度まで上がってくる。
つい最近まで日本では「お馬鹿タレント」がそのお馬鹿ぶりを売りにしていたが、その中にはスポーツで有名選手だった人物もいて日本との大きな違いがある。
ここで、少し注目すべきことは主人公のマイケル・オアー選手が大学を優等(A)で卒業していることである。
高校での有名選手や大学での有名選手であっても、一般的には学業不良ではまともに卒業出来ないどころか、試合にも出られないことがあると言うのが米国でも常識であることを思い起こされる。
要するに、米国では厳しくてスポーツ選手というのは一種の使い捨てというところがあるそうだ。
昔の映画で「ワン・オン・ワン(1977)」というバスケットボールを題材にした映画があった。これはウェスタン大学というバスケットボールの名門校にスポーツカー(日産フェアレディZ)と奨学金をもらって通うことになった話し。
大学に入ると、優秀な大学院生の女性の家庭教師やら、何もしなくてもアルバイト代が貰えるお小遣いなどの数々の特典が与えられていた。
それが、大学のバスケットボールというレベルについて行けなくて、レギュラーメンバーにもなれず成績は低迷。
すると、大学側はこの主人公の追い出しにかかる。
家庭教師を辞めさせて学業不振(D)なら先ず試合に出られず、次に退校が待っていると言う次第。
映画ではバカではないと言うことを示すことになり、何とか大学とバスケットボールに残ることが出来る。
そこでも示されたのは、ここでもスポーツ推薦選手でも学業不振だと奨学金停止や退校もありうると言うことである。
この映画「しあわせの隠れ場所」では、大学の「スポーツ推薦」NCAA1部校の奨学金を得るためにはA、GPA2.5以上の学力をつけるために家庭教師を雇って達成する。
それが僅か2年間だと言うから驚くべきことがある。
この主人公マイケル・オアーは一旦覚えたら忘れない記憶力というのだから、凡才の小生などからは想像も付かない。
日本でもこういう映画のように、スポーツ選手でも成績を重視するというと言うことになったら現在のスポーツ界は存在するのかと思う。
本来、一流選手がバカであるはずがなく、只勉強をしなかったかさせなかったということに過ぎないかもしれない。
しかし、そう言うスポーツ選手の世界というのもお馬鹿タレントを見る限りそろそろ終わりにしてはと思ったりするものである。

昔聞いた話、あの元江川投手・現野球解説者は栃木の作新学院出身だが、当時群馬の強豪校(県立)前橋工業で採ろうかという話があったという。
しかし、公立高校であったために推薦入試の検討から、成績が悪すぎて推薦出来なかったそうであった。
その前橋工業は後ろ盾だった佐田建設が左前になり、その後前橋工業出身の社長が自己破産するに至って今では往年の見る影もない。

そんなことはどうでも良いが、「しあわせの隠れ場所」という映画を見て原作も読みたくなった気がする。
映画では高校卒業まで、あとは本人の実写の写真で済ましているのは、大学以降のマイケル・オアーの活躍は有名なのだろうという憶測が出来る。
現実として、もう少しマイケル・オアーのアメフト選手としての活躍という説明があっても良かったかなと思う。
原作は、大学1年まであり、また種々の人間哲学が書かれていると言うので違った話になっているのかも知れない。


ブラインド・サイド アメフトがもたらした奇蹟


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