映画「のぼうの城」の虚構とお笑いの再考



11月2日にお蔵入りになっていた映画「のぼうの城」が公開される。この「のぼうの城」の舞台は行田市の忍城であることは小説の方の「のぼうの城」や「水の城」で明らかである。
この忍城攻防戦に関しては以前のエントリーで述べておいた。しかし、もう一度整理してみたい。

●この攻防戦は、天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原攻めに端を発し、関東の北条方の城を豊臣方が攻略する中での出来事である。
この間に小田原城からの要請によって武州の忍城(埼玉県行田市)の城主成田氏長は、500騎の軍勢、事実上の全軍を率いて小田原城攻防戦に参加する。
ここで500騎というのだが、500騎は実働の戦闘部隊であり実際は、右筆などの文官や側室、女中、予備の武器、兵糧などの荷駄隊などを含めてかなりの人数が籠城戦に参加したと思われる。
小田原城の籠城戦というのは、実を言えば参加した城主達の見栄や虚勢を張るところで貧弱な軍勢や武器を持っていったのであれば肩身が狭いと言うものであった。
そして、この事実上の成田氏直属の全軍が忍城を後にしたとき、支城や砦の軍勢がその後詰めとして城に入るのが戦国時代の常識である。

従って、足立郡の戸塚城主・小宮山弾正介とその武士団が城の防備に入ったというのは当たり前である。
しかもこの小宮山弾正介忠孝とは、武田勝頼の侍大将・小宮山内膳正の遺児であってその旗下には旧武田軍団があった。
(戦後、実況見分した徳川家康が城の防備を絶賛して、武田の遺臣の仕官に繋がった。)

従ってこの忍城攻防戦というのは、事実上の武田軍団との戦いだったと言うことが分かれば攻城戦はかなり難しかったというのは当たり前である。
しかもなかなか降伏しないのは、従来からの旧武田軍の遺臣狩りがあったことと、八王子城で武田の遺臣が多く戦死したことに関係しているかも知れない。

こんなことを石田三成や豊臣秀吉が知らないわけはなく、大損害を出さないために「水攻め」を選択したというのは容易に想像がつく。

そして小説「水の城」には、八王子城を落城させた真田軍がその余勢をかって、真田信繁(幸村)が持田口を攻めた激戦、攻防戦が書かれている。
ここで不思議なのは、水攻めであるのに「持田口」という部分が水攻めの中に入っていないということ。





映画「のぼうの城」オリジナル・サウンドトラック


これは実を言えば、持田口には出城があってこの部分が忍城の絵地図に乗っていないと言うことである。
ここで注意するのは、真田軍というのは「忍者部隊」であることである。今で言えば特殊部隊、グリーンベレー、レンジャー部隊、シールズなどである。
この特殊部隊によって、難攻不落だった八王子城は簡単に落城したというのが史実である。
ところがこの持田口攻防戦では、真田軍先鋒隊が大損害を受けて撤退する。
そして、その持田口の出城跡というのは後の小宮家の屋敷跡(城の基礎が出土)であり、後の真田丸に繋がる。

その持田口を守ったのが小宮山弾正介忠孝の嫡男、小宮山源左衛門忠昌である。
これが後の小宮源左衛門であって、小宮家の元となる。

この忍城攻防戦の後始末では、武田の遺臣に人気が出で多く仕官が叶ったのとは対照的に、実践指導者の隠蔽が始まる。
なんと言っても、城主成田氏長が不在で、城代の成田長親が主役になったのでは城主の示しがつかない。
それでまず城代・成田長親は言いがかりを付けられて追放され、小宮山氏は小宮に改姓させられる。

その後小宮氏は帰農することになるが、その小宮姓は残りその武勇にちなんで小宮姓を名乗ることになる。これが関東の小宮姓の元という。
小宮家の「真言宗 智山派 医王山 遍照院」の隣には「臨済宗 妙心寺派 鷲峰山 大蔵寺」があり、この大蔵寺とは後の忍城城主松平忠堯の菩提寺である。
ここに菩提寺が移されたのは、小宮家に敬意を払ってと言うことであると小宮家の当主から聞かされたことがある。




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