平成24年年頭の新聞各社の社説の欺瞞を読み解く2

先ず、朝日新聞から

●年頭社説、朝日、毎日、読売、日経新聞の社説を見ると‥朝日、毎日は増税、読売は増税とTPP、日経はTPPとは書いていないものの「グローバル社会」と述べている。

●全ての新聞各社が昨年、異口同音に消費税増税を含む増税議論に可とし、TPP参加に当然のことの様に主張していた。
この増税議論やTPPに関しては、異論、反論というものは細かいデーターを示してネット上で示されているのだが新聞はほとんど無視している。
参照「新世紀のビッグブラザーへ blog 」(作家 三橋貴明のブログ)

こう言う異論を考慮せず同じ論調というのは、どう見ても奇妙である。この奇妙な世論作りというのにはワケがあると思わないと今の世の中、身の安全が保てない。
それで調べてみると「TPRと呼ばれる言論統制事業がある。」と「植草一秀の『知られざる真実』」というブログに書かれている
植草一秀氏とは、「ミラーマン」という話で直ぐ分かるとはいうものの、元々財務省にも絡んでいたこともあり、経済分析では定評がある。
ここでTPRとは、「TAXのPR」と言うことで、その一端を紹介すると‥

「他方、TPRウィークリーが作成された。1週間の間の新聞、テレビ、週刊誌、月刊誌、単行本における主張、論評が検閲の対象とされた。売上税賛成論と反対論とに分けて、人物を分類する。賛成者は売上税導入の太鼓持ちとして活用する。反対者はブラックリストに載せて説得工作の重点対象とした。 
 さらに、テレビ局、新聞社、広告代理店の最高幹部を対象に、築地吉兆などを使用しての高額接待が展開された。マスメディアを上からコントロールするための工作活動である。もちろん、国民の血税を用いての高額接待だ。」

今でも続けられているTPRは、政界・学界・財界・マスメディアの言論を監視して、財務省の不都合な言論があれば圧力をかけて封殺すると言うものである。
その一方で財務省の言う事を良く聞く人たちは、審議会の委員などに推薦され、学者には予算が取れ、大学内の発言権が強まるという効用があるという。

こんなことを見れば、TVや新聞で簡単に論破されてしまうような増税論やTPP容認論を展開する学者や論性委員氏がいるということも納得するものである。
しかし、こういうふうに国民の代表でもない人達、官僚組織が圧力をかけて言論を封殺するというのは民主主義国家としてはあるまじきことではないだろうか。

そして、民主党政権に肩入れしている読売新聞が消費税増税とTPP参加に前のめりになっていると言うのが何やら妙だと感じるものである。

●朝日新聞社説「ポスト成長の年明け―すべて将来世代のために」
朝日新聞の社説というのは、何時も感傷的で読むに耐えない、それは事実誤認だろうというものが多い。
そういう感傷的な社説に限って文章に酔い、実証的な事柄を無視するという日本人らしくない物言いになっている。要するに論理的でない左翼人士の言い回しである。

そこで社説の冒頭から感傷的に何を言っているのか分からない展開になっている。
これは社説ではなく、随筆だろうというのが朝日社説。そして、「バブルで財政赤字に」という段になると益々感傷的になり、それはないだろうと言う話になる。
だから、ここのところの失われた20年をこんなふうに書くのである。

「日本も高度成長が終わってバブルをつくりだし、その後処理のために財政赤字を積み上げてしまった。成長を諦めきれずに国債を乱発したからでもある。」

その感傷的な悲観論は、「従来の手法が経済成長を生まない。そんな歴史の大きなトレンドが変わりつつある。」と続く。
「従来の手法が経済成長を生まない。」というのは、低金利、ゼロ金利のデフレ時代においては、従来型の「高金利、インフレ時代」の経済政策は意味をなさないと言うことである。
■成長から成熟社会へ
と一端話を転換させ、早い話「原発も止めて、日本を原始時代に戻せ」と言うような事を展開する。
「それは成長から成熟へ、社会を切り替えることでもある。」と述べる。
ところがこの意味はあの蓮舫大臣が「二番ではダメですか」と言ったことと同じ意味であることに社説氏は気づいていないのか、不思議なものである。
社説氏の様な高額所得者で先行きも安定している人の、高みから見下ろす感傷的な言い回しは構わないもののそれは随筆として許されるものではないか。
そしてここで「従来の手法が経済成長を生まない。」という意味が上述の意味するところとは全く違うことが次第に明らかになる。
それは、増税によって経済を立て直そうという歴史上誰もなしえたことがない、そしてそういう例がないことを堂々と述べている。

 「財政支出や金融拡大に頼った『成長の粉飾』はもうしない。いま増やした国の借金は何十年も先の世代が返済するが、彼らはまだ生まれてもいない。決定権のないまま負担だけを背負わされる。民主主義の欠陥である。この愚をこれ以上繰り返してはならない。」
これは、民主党即ち財務省が言っていることと全く同じであると気づくと、正にTPRかと苦笑せざる終えない。
そして、まだまだ民主党政権が言うというより財務省が言っていることと同じ以下の文章。

「取り組むべきは、社会保障と税の一体改革を実現させて、成熟社会の基盤をつくることだ。医療・介護や教育といった社会的サービスを再建することが、量的拡大に代わる新たな経済社会につながっていく。
 増税や政府支出のカットはつらい。成長率の押し下げ要因になるが、将来世代のことを考え甘受しなくてはいけない。」
こう言うことで存在し得た国はない。
なぜなら、原発は「自然エネルギーを発展させ、環境重視の経済に組み替える。」とし、安定した電力のない日本からは、産業は海外に出て行き同じく高負担の税の掛かる日本からは人も出で行く。
そんな荒廃した日本を残せと言うのが社説氏の言い分で「将来世代のことを考え甘受しなくてはいけない。」とはふざけた話である。


ソフマップニュース




ポスト成長の年明け―すべて将来世代のために


 新しい年も難問が続く。



 東日本大震災、福島の原発事故への対応はもちろん、年末に民主党がやっと素案を決めた消費税率の引き上げもある。世界経済を脅かした欧州の財政金融危機からも目が離せない。



 難問が織り重なったのは偶然だが、なにか共通した問題を暗示しているように思う。



 それは、戦後ずっと続いてきた「成長の時代」が、先進国ではいよいよ終わろうとしているということだ。



■バブルで財政赤字に



 原発の惨状は、豊かな生活を支えてきた潤沢なエネルギーがじつは危うい上げ底だったとの反省を迫っている。



 日米欧の赤字財政は、成長を無理に追い求めたツケだ。



 世界の歴史を振り返れば、経済成長が行き詰まると、成長を取り戻そうとして金融を拡大し、バブルを生んできた。



 日本も高度成長が終わってバブルをつくりだし、その後処理のために財政赤字を積み上げてしまった。成長を諦めきれずに国債を乱発したからでもある。



 住宅バブルがリーマン・ショックで破裂した欧米も、財政赤字をふくらませ日本が来た道をたどっている。



 それなりに豊かな社会を実現した先進各国はいま、新たな成長のタネを探しあぐね、雇用の確保に苦しむ。



 経済成長は多くの問題を解決してくれる魔法の杖には違いないが、そのタネを見つけられぬまま財政と金融に頼って成長の夢を追った結果、各国とも難問を抱えこんでしまっている。



 従来の手法が経済成長を生まない。そんな歴史の大きなトレンドが変わりつつある。



■進化が生んだ草食系



 すでに変化の芽は、さまざまな形で見えている。



 昨秋、ブータンから来日したワンチュク国王夫妻を人々は大歓迎した。その清新な人柄の魅力もあったが、物質的な充足よりも心の豊かさを求めてGNH(国民総幸福)を掲げるブータンの国是に、ひとつの未来を見いだしたからだろう。



 ブータンにならい、幸福の指標を7年前から研究してきた東京の荒川区をはじめ、各地で同じような模索が始まっている。



 草食系の若者たちが登場したのは、ポスト成長の環境変化に適応して進化したからではないか――。みずほ総合研究所がこんな新説を唱えている。



 過大な期待は抱かず、ほどほどの現状のなかで人々との絆を求める。震災のボランティアに駆けつける若者たちと、どこか重なるものがある。



 地球大での環境や資源の限界を考えても、低成長に適応していくことは好ましい。



 だがしかし、経済成長をしないで、巨額の財政赤字を処理しつつ、急激に進む少子高齢化を乗り切っていけるのか。



 ここで、次なる難問に突き当たる。



 新興国が激しく追い上げてくる大競争の時代、人口が減りだした日本は、のんきに構えてはいられない。よほど努力しないと現状維持すら難しい。



 だから、国をもっと開いて打って出て、新興国の成長力を取り込み、世界に伍(ご)していける若い人材を育てていかねばならない。それを怠れば、この国の将来が危うくなる。



■成長から成熟社会へ



 「ゼロ成長への適応」と「成長への努力」という相反するような二つの課題を、同時にどう達成するのか。



 歴史的にみて、経験したことのない困難な道である。



 そのさい、「持続可能性」を大原則とすることを提案する。何よりも、将来世代のことを考えるためだ。



 財政支出や金融拡大に頼った「成長の粉飾」はもうしない。いま増やした国の借金は何十年も先の世代が返済するが、彼らはまだ生まれてもいない。決定権のないまま負担だけを背負わされる。民主主義の欠陥である。この愚をこれ以上繰り返してはならない。



 取り組むべきは、社会保障と税の一体改革を実現させて、成熟社会の基盤をつくることだ。医療・介護や教育といった社会的サービスを再建することが、量的拡大に代わる新たな経済社会につながっていく。



 増税や政府支出のカットはつらい。成長率の押し下げ要因になるが、将来世代のことを考え甘受しなくてはいけない。



 また、何万年もの後代まで核のゴミを残す原発は、できるだけ早くゼロにする。自然エネルギーを発展させ、環境重視の経済に組み替える。



 シルバー(高齢化)とグリーン(環境)が、次の活力ある経済をつくるタネになり得る。ここに力を注ぐべきだ。



 それは成長から成熟へ、社会を切り替えることでもある。



 成長の時代を享受してきた私たちは、変化していく歴史の行方を長い目で見つめながら、いまやるべきことを着実に実行していかねばならない。


2012年1月1日(日)付