イエロージャーナリズム・文化放送の痛い大竹まことの無知

毎日の昼過ぎ文化放送というイエロージャーナリズムの「大竹まこと ゴールデンラジオ!」と言う番組がある。
ここで繰り返される政治、政情批判というのは、いわゆるリベラルと言うより何を標榜して意見を言っているのか、実に不思議な番組なのである。
基本的には民主党擁護だったのだが、東日本大震災での不手際から擁護することも出来ないので、話題にしない。
それどころか以前のエントリー「文化放送・大竹まこと・菅総理の嘘隠しを鳩山の責にする大笑い・2011.6.3」に示されたとおり、菅総理に関しては全く触れないというのが通例になっている。
当然のことながら菅総理が絡めば、民主党の菅総理を下ろすことが出来ない不甲斐なさを言わなければならないのだが、民主党の民すら出で来ない。
そして出てくるのが政権を取っていない野党である自民党のことである。
野党である以上野党が何を言おうが現実問題として、事実上国政に関係ないところに現在は来ている。
それでも自民党の意見を採り上げなければならないところに、民主党の政策能力のなさと共に「市民政党」である欠点が算出している。
そうであるから批判ばかりしていて「何をどうするのか」「日本をどのように発展させ国民の暮らしを豊かにするのか」という観念がない。



今日の読売新聞第1面は「首相月内退陣しぼむ」である。
今政治が注目しているのは、政権にしがみつく菅総理の動向であり、菅総理が退陣すれば震災復興が加速度的に進むという公算である。
そして、6月退陣というのが民主党首脳のコンセンサスだったのは今までの報道通りだが、菅総理の居直りによって水泡に帰したと言うのが現実である。
ところが、この「大竹まこと ゴールデンラジオ!」の政治発言は今のところ「原発」と「大連立」という馬鹿の一つ覚えしかない。だから、いわゆる左翼と呼ばれる人達が同じ狢の菅政権を批判出来ないでいる有様を示している。
そして、朝日新聞の記事を持ち出して大連立を主張するも、菅総理が辞めればその必要もないという菅総理の居座りが障害になっていることを隠す。
それは、朝日新聞社説が原発のことばかりしか書かないのとよく似ている。
その筋書きによって、毎日冒頭から文化放送が提供した原発事故に関しての台本通り大竹まこと氏は話す。
しかし、大竹まこと氏はパソコンすらまともに使えない人物であるし、詳細な情報を収集するということもほとんどない。
それで、局アナが週刊誌のほか朝日、毎日新聞を中心にして不安を煽るようなことを言う。
その趣旨は、原発反対、原発廃止論に他ならないのだが、それでどのようにするのかとは一切ないというのは先に述べた左翼人士達、イエロージャーナリズムの典型例と言って良い。
ここで自民党の河野太郎前幹事長代理が「河野氏ら自民中堅・若手が『脱原発議連』」を作ったということを取り上げている。
河野太郎と言っても、所詮二世議員で親の七光りで国会議員なったような人物。昔「父親とは違う」と大見を切った人物である。
しかし、テロリストの支援者や赤旗や各種労働組合の旗が並ぶ原発廃止デモに賛同するような人物であるから、父親ソックリのリベラル人士であるというのは証明されてしまった。


「花うさぎさんのブログから借用」

この原発反対デモ報道は、朝日、毎日新聞しか詳細な記事はないとこの文化放送の番組では批判している。
その上、一般市民の自発的な「原発反対デモ」の様に偽装するというのは、テレビ朝日の「モーニングバード」でデモのアップ映像しか掲載しないのと同じであった。
その映像をよく見てみれば水色の左翼団体の旗が見えるのだが、誰も気づかなかったろう。
こんなことだから朝日、毎日新聞しか大きく扱わなかったのであるし、TV映像もかなり制約した画面を使っているのである。
こんなことすら分からない大竹まこと氏の知能レベル、無知というのも知れたものである。所詮台本なしでは何も出来ない役者というものである。

こんなことから分かる様に、河野太郎という代議士は簡単に言えば、原発から逃げたと言うことが正しい。
なぜなら、政治家である以上現在ある原発と原発に関わる電力というものを切り離して考えるというのは現実的ではない。
そしてどうでも良いような「自民・石原幹事長、脱原発を『集団ヒステリー』」を批判する。

その一方で、倒錯したものの考え方である「村上春樹のカタルーニャ国際賞スピーチ・核に対するノー演説」をこの文化放送では、局アナが高く評価して再度紹介している。

しかし、村上春樹氏は「非現実的な夢想家として」述べているのであって、現実を直視しているのでない。

それどころか======
 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。
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と言うふうに、原爆を落とされたのは「日本は加害者だから」仕方がないとも言っているのである。
その前段では
「ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。」

このように言って「死者のほとんどが非武装の一般市民でした。その是非を問うことはしません。」というのは何という無慈悲なのだろうかと思わないのだろうか。
「非武装の一般市民」を虐殺することは国際法違反であり、今でも批判されることである。
ベトナム戦争でも「ソンミ事件」などがあって、糾弾されている。

そして続くのが

僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。
この文章の内で
「人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。」とは他人事の様に、どこかの国の話のように言っている。

その後、「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」に続くと思えば、村上春樹氏は原爆による被害とその後の原爆症の障害は日本の国ではなくどこかの国での話のように聞こえる。

要するに前回述べたように、村上春樹氏は日本人として述べてるのではなく、神の目線もしくは二次大戦の戦勝国の立場において述べていると言うことが分かる。

村上春樹氏は本当に日本を愛する日本人なのか、愛国者なのかと言うことが見えてくる一文であろう。