読売新聞正月の連載「日本の改革」第1部識者に聞く5

「消費税増税しかない」というお題目に戦前の参謀よろしく戦略がない憂鬱


読売新聞正月の連載「日本の改革」。
第1部識者に聞く5‥‥伊藤隆敏先生 表題は「消費税増税しかない」
冒頭の書き出しは
「日本経済の低迷は、中長期的には少子高齢化による人口減が大きな要因だ。働きながら子育てができ、安心して子どもが産めるような環境にしていく国の努力が足りなかった。」
こんな書き出しは、何度もお経のように聞かされたお題目だが、それが本当にそうなのかと言うことはあまり聞いたことがない。
要するに、そういう要素もあると言うことであるかもしれないが、そうであるという検証はされていないのがそのお題目というものではないか。
「中長期的には少子高齢化による人口減」は将来的にはそうかも知れないが、少なくとも大正時代に生まれた人達が高齢化していたバブル時代は、今のベビーブーマーの高齢者が「湯水のごとく」金を使っていたはずではなかったか。
少子化だから、子どもが少ないから「金を使わない」、「消費が伸びない」という一つの固定観念というのも教科書的に判を押したようなもの。

こんな言いぐさは東大教授でなくともという井戸端会議で充分である。
「働きながら子育てができ、安心して子どもが産める」という話も、実は「卵か先か鶏が先か」というくだらない議論である。
以前、結婚しない女性がその理由として言っていたことは「結婚しても働らける環境がないから結婚できない」と主張していたのだが、所詮相手が見つからないからであった。
そして、結婚した女性は「働きながら子育てができ、安心して子どもが産めるような環境」が出来たら子どもを産むと言う例は少なくとも周辺ではあまり聞いたことがない。
こんな風に見て行くと、冒頭のお題目以外に原因があると誰でも気づく。
そして、この高名な大学教授でなくとも井戸端会議では、「金詰まり、金がない」という議論に行き着くはずなのである。
そこで、伊藤隆敏先生は「デフレを克服できないことも大きい。」と続けるのだが、それは話が逆さまである。日本経済の低迷は「デフレを克服できない」ことではないか。
そして「日本銀行の金融政策の誤りが最大の原因」と述べるものの、そんなことは誰だって分かっている。
その誤りというものが、またまた「鸚鵡・米国流・経済学者」のようないわゆる金融緩和のやり方が間違っているという論点になる。
「過去の手法にとらわれない金融緩和や、物価上昇率に目標を設けて‥‥」という例の「インフレターゲット」論だが、誰もそんな妙なインフレなど望んでいない。
そもそも低金利時代により金融緩和をしたから景気が良くなるという「過去の手法」どころか教科書はない。
実態は、日本は「ゼロ金利政策」、そして限りなく「ゼロ金利政策」でデフレから抜け出せないと言うのが実態ではないのか。
その日本の「ゼロ金利政策」をまねした米国は、正に日本と同じようなデフレに陥りつつある。それどころか、低金利にした世界中がデフレに陥りつつあると言うのが実態ではないか。
そういう中で、手持ちの資金がないのに「物価が上がっていく」というのは、デフレ経済の中で最悪の状態である。
こんな一見出口のない議論を堂々巡りに展開していると考えると、昨今散々読みふけった日清日露戦争から大戦前夜の歴史に酷似しているように見える。
それは何かと言えば「消費税増税しかない」と主張するものの、その結果や影響を予測し多方面に検討するという概念がない。
それと、陸大、海大で学んだことを「バイブル」として、間違っていても何度も間違いを繰り替えす。戦闘で米英軍は一回は引っかかっても、二回目はダメなのに何回も同じ轍を繰り返す。そして失敗すると「おかしい」敵が間違っていると参謀殿は主張する!!
ついでに言えば、失敗しても参謀は責任は問われないと言うことである。
そもそも「ゼロ金利政策」という緩和策もその結果と影響について充分に検討はされたという話は聞かない。
しかも、「ゼロ金利政策」によってデフレになったのに、又デフレになったから「包括緩和」と同じ轍を踏む。
そして、最後にはこの伊藤隆敏先生、EU型のブランド志向と言うべき「医療サービス」のアジア・ブランド化や子育ての「保育所待機児童の問題」などを上げている。
画餅を幾ら書いても食えないのは当たり前である。
又、「保育所待機児童の問題」と言うのも東京などの一極集中の場所は兎も角、通常はパート主婦のための保育所問題だったりする。
そうして、突き詰めて行くと「ない袖は振れぬ」と言うところまで来る。
消費社会の日本において、高度成長期は金利利回りも高く税収が多くて、EU型の社会保障も楽々やれたのが異常だった。
その高度成長が終わり、バブル経済と言われる好景気を「やっかみ」から潰して低成長、デフレになり、そのデフレの原因も「責任を問われるから」何も追及しないまま来たのが現在である。
低所得者への負担軽減も、国民がみんな低所得者になってしまえばそれこそ社会保障を諦めるしかない。
消費社会でないEUがその社会保障を維持するために、消費税を上げるだけでなく軍事産業という「消費」という部分と関係ないところで収益を図っていることを見れば、社会保障というものには限界があるというものではないか。