「日本 誰がどこで誤ったか」を分析しない正村公宏論文

「日本 誰がどこで誤ったか」と題した読売新聞の記事があった。
書いているのは専修大学名誉教授(経済学)正村公宏先生。(2010/08/23読売新聞12版。文化面11)
その冒頭「『戦争はなぜ起こったのか』を考える必要があると思う。」と書く。
実は、そう言う話というのはあまり詳細分析の論調を得ることが少ない。別の言い方をすれば「封印して全て悪い、暗黒」と言いきってしまうのである。
こういう戦前の政治経済状況をブラックボックス化するのは、政治経済を考える上で問題が多かろう。
それでこの正村先生はというと
「20世紀前半の日本の政府は、アジアのナショナリズムと新しい主導国家アメリカの登場への対応に失敗し『時代遅れ』の新興帝国主義路線を追求して大戦争を引き起こしてしまった。」
「20世紀後半の日本の政府は、経済成長による社会の構造変動への対応に失敗し、生活の安全・安定を優先する制度・政策の構築に大きく立ち遅れてしまった。」
こんな風に一刀両断するが、あまりに単純な見方の戦後民主主義的な戦前暗黒思想とは恐れ入った。

この正村先生は、「私は経済政策論を担当するとともに政府の審議会などにも関与し、‥‥中略‥日本と世界の歴史を読み解く仕事にも挑戦した。‥‥」と言うように少し経歴を披露するのだが、所詮戦後政治の政府の一員であったと言うことだ。
そして、そう言うマッカーサー体制の延長と言える東京裁判史観を形式的にでも継承する思想でも持っていないと、審議会の委員などにも選ばれなかったはずである。
特に外交政策史に関して岡田外務大臣は、「韓国は竹島を不法占拠している」という言葉を口に出すことを拒否し、韓国併合談話「過ちに素直に謝罪は当然」という。
一方、「当時の国際法に照らし、有効だった」という政府見解を封印した。
朝鮮半島に関して、こういう妙な言い回しや感覚がどこから来るのかと考えていて、外務省の役人で大使をした人物の書物を読んだことがあった。
そこには、「日本は韓国に悪いことをした」という話しの前段があり、「日韓和解に関する一私見」という難しいかも知れないがと言いながらのノーテンキな意見があった。
それは、日本が韓国に対して妥協すれば韓国もそれに載って来ると言うのニュアンスだが、歴史を捏造したり、日本領土を勝手に占拠して軍隊を常駐、軍事用のヘリポートまで作る。
その上、「日本海」と言う名称が気に入らないと勝手に「東海」という名称をつくって、世界中に言い含め、英国の地図会社では日本海と併記させるまでになったという。
こういう日本に対して友好的でない、はっきり言って敵対行為をしている国に対して、その敵対行為も口に出来ない外務大臣。
この状況を見て何も言及出来ないというのは、どういう感覚か利害関係を持たない国民から見ると理解できない。
これは、戦前の中国政策の曖昧解決によって、例えば上海事変あたりで全滅に近い大損害を日本軍が受けた事に似ている。
別に、ここで戦争に打って出ろと言うのではなく、事なかれ主義は日本の国民の間では良くとも国際社会では、国を滅ぼすと言うことではないのかと考えるのである。
この様に、戦前は「悪」と決めつけて全て封印して、例えば東京裁判のA級戦犯で絞首刑になった人達に責任を押しつける。
それこそ「誰がどこで誤ったか」と言うことに対して分析すべきであろう。
ここで、前に戻って正村先生の話によると
「20世紀前半の日本の政府は、アジアのナショナリズムと新しい主導国家アメリカの登場への対応に失敗し『時代遅れ』の新興帝国主義路線を追求して大戦争を引き起こしてしまった。」
先ずこの「アジアのナショナリズム」とは何なのか白紙の状態で考えると理解出来ない。歴史から見るとアジアでは、日本以外はほとんど植民地か、中国の様に分裂国家となって国の体をなしていなかった。
当時の「アジアのナショナリズム」とは、日本の軍隊がヨーロッパの白人の(征服者の)軍隊に勝ったとき、 植民地の人達は白人の征服者にも勝てると驚いた。そして、それが独立運動となったという「ナショナリズム」しかない。
その過程で日本軍人は日本の武器を渡し、軍事教練の指導者となって独立を勝ち得たと言うのが間違いない歴史である。
そうすると、正村先生の論理が成り立たないから「アジアのナショナリズム」とは、戦前には存在しなかったか無視されていた、特定アジアの「ナショナリズム」と言うことになる。
次に、「新しい主導国家アメリカの登場」と言うのも、戦争後の結果論である。
米国は、国際連盟創設以来大きな発言権をもつ「主導国家アメリカ」であり、それによって人種差別反対の日本の議題を葬り去った。
現実には、元々米国はモンロー主義によって欧州の戦争には参加しなかったその眠れる巨人を、民主党の作戦に引っかかってパールハーバーを起こしてしまった戦略の誤りである。
当時、同盟国であるドイツのヒットラーは米国と問題を起こさないように過大な注意を払っていた筈であるから、日本の国際感覚がいかに歪んでいたかなのである。
その部分では、「対応に失敗し」は当を得ている。
しかし、どうもそうでもないらしい。
なぜなら、「『時代遅れ』の新興帝国主義路線を追求」と述べているのであって、これは東京裁判史観の「共同謀議」を示している。
これで、正村先生は東京裁判史観の戦後民主主義的思想の持ち主であることがばれてしまった。
そして
「20世紀後半の日本の政府は、経済成長による社会の構造変動への対応に失敗し、生活の安全・安定を優先する制度・政策の構築に大きく立ち遅れてしまった。」と言うのも所詮バブル経済のハードランディングの結果論。
日米構造協議、日米包括経済協議、年次改革要望書という単に要求を押しつけられる国民から見て理解できない事は確かにそうであろう。
その他「バブル経済」の原因を「1980年代後半、貿易黒字拡大と円高不況に対処する超低金利がバブルを誘発し、‥‥」と述べているのは笑えるものである。
なぜなら、今現在の状況は正に同じ状況、貿易黒字拡大、円高、超低金利であるが、「バブル経済」など起きようもない。
正村先生の経済学理論が大間違いである証拠である。
ちなみに、正村先生の「超低金利」は1987年の2.5%(政策金利・日銀Webより)を示している様だが、0.10%の現在に比べれば笑ってしまうようなものである。