Syuun独自理論のよる夏の錬成会と横堀流書道


今日2010/08/22は、展覧会作品に関する錬成会だった。
その昔、師の故横堀艸風は夏の錬成会を開いたと言う記憶はなく、大方6月、9月くらいの時期で、今日のような猛暑の中ではなかった。
ところが、最近の5年間ぐらいは8月に2回の錬成会と言うことになっている。
今年は、毎日書道展の陳列が終わった後、お盆の直前に行うと言うのも負担が大きいと言うので1回。
横堀先生の錬成会の時は、午前中は手本ではなく「作品例」として、「○○」を書いてくれと順番に並んで、何やら書いてくれたものの参考例にもならなかったと思う。
いずれにせよ、小生達の「書」の世界というのは、こういう錬成会でもないとどう書いて良いのかさっぱり解らないと言うのが真実である。
それで錬成会で師匠が何か教えてくれるかと言えば実は何もない。
なんと言っても、師匠が「作品」を書いているところは県書道協会の実技講習会で一回見ただけである。それも瞬きする間に終わった。
昨年、富山で行われた書道芸術院の研究会でSyuunが席上揮毫に指名されたとき、その師匠の書き方と同じ手法を見せたのは、師匠・横堀流を味付けなく正確に示す必要があったからである。実際、書く時間が少なく不評も買ったが。
その師匠が健在の時の錬成会で非常に勉強になったのは、他の先生方がどういう風に書くかという書き方を見ることだった。
実際、当時では県展(群馬県の官展)で委嘱作家(無鑑査)クラスの先生は、結構書くところを見せてくれたことが多かった。
こういう錬成会では、県展委員(審査会員)クラスの先生は作品を書くと言うことはなくて、公募出品クラスの人達の指導が中心であるのは、今でも同じ。


そして、時は移って今のマニュアル時代の錬成会。
昔のように、作品を見たり書き方を盗んで作品を作れと言うことなど通用しなくなった。
それで、午前中は作品の構成の仕方、作品原稿の作り方の講義。
そして、作品原稿を持ってきたものを辞書を引き直して、全体概念を示したり再構成したりである。
当然師匠横堀艸風の作品の典型例を分析して、その構成の妙と、どういう風にしたらマネが出来るかを講義。(小作品が多いので毎日の公募展サイズでは参考にならない。)
その他、何もなくては分からないから作品集を持ってきて批評を加える。わざと構成の失敗例の作品の実物を示してどこが悪いかを指摘するなど結構めんどくさいのである。
従来は、こういう作品の構成理論というのは師匠の感覚に頼っていたもので、昔から構成の妙に関してはあまり指摘されず、「~~の感じ」で済ませていたものなのである。
しかし、最近の促成栽培ではそんなことは言っていられない。
社中作品のレベルアップというのは急務なのである。それには批評などの書論、理論が必要である。
その書の構成を理論化したのが小生の書論であって、厳しく適応するとどんな大先生の作品でも「駄作」に変身することもある。
但し、その理論の適応外という作品も多いから、一概に決めつけられないというのも事実である。
そして午後から、実践で書かせ評価する。
結局錬成会というのは、そこで良い作品が出来れば儲けものだが、そこで教わった事に対してよりモチベーションを上げてよりよい作品を書かせると言うことである。
何と言っても、書き方が分かればもっと書きたいという意欲が湧くのが書道である。