米国、ロシア、中国、勧める政治力を期待する社説のお粗末
8月になって妙な社説が二つあった。
それは「クラスター爆弾 禁止条約発効で弾みを(毎日新聞2010/08/04社説)」、「クラスター弾の全廃めざせ(日経新聞2010/08/05社説)」。
日本は、既にクラスター爆弾の禁止条約を結び、早々と批准した言わば少数派の批准国であるとは日経新聞の記事から明らかである。
このクラスター爆弾の禁止条約(オスロ条約)に関しては、大方EUが中心になって行っていたものでノルウェーが推進者だという。それは戦争の脅威が去ったEUなら考えても良かろうと言うものだが、EUというのはこういう軍事に関しては妙な国々である。
何故なら、EUの主力の産業というのが軍事技術、軍事産業でありながらそう言う規制はしないことである。民主党が信奉するスウェーデンは、オーストラリアに3,000トン級の潜水艦を6隻も売っているという。(正論2010・9月号「シナ周辺国が潜水艦増強の理由」)元々スウェーデンの機関砲は戦前から有名だから、軍艦というのはスウェーデンの武器がないと困るようなのだ。
それで日本は、このクラスター爆弾を廃棄すると言うのだか、日本は自衛のための武器使用と言うことになっているから、「06年の第2次レバノン戦争」という事態にはなり得ない。
そして、極東ではクラスター爆弾を廃棄するというのは日本だけと言うのも、何と言っても解せないことである。中国、韓国、ロシア、米国どの国も署名すらしていないという。
毎日新聞の社説では
「これまでに107カ国が禁止条約に署名したが、批准したのは38カ国に過ぎない。問題の焦点と言える米国、ロシア、中国、イスラエルといった諸国は、条約に加わる気配さえない。まずは署名、批准を呼びかけ、締約国を増やす努力を、粘り強く続ける必要がある。条約の発効で弾みがつくことを期待したい。」
と単に「期待したい」というだけである。
憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」というのは通用しないというのは通り相場だが、未だに日本の中には「話せば分かる」と信じている人達がいるようである。
国際関係は「話せば分かる」と言うことではないことは、北朝鮮の拉致被害者の問題が「話せば分かる」と言うことで通じないことからも明白だろう。
同じようなことが日経社説でも見える。
「11月には、第1回締約国会議がラオスで開かれる。日本政府は米国やロシア、中国などを説得し、早期の条約締結を求めるべきである。」
例の地球温暖化のための二酸化炭素削減も、この3か国は京都議定書の枠外で二酸化炭素削減などどこ吹く風であるはずだろう。
米国やロシア、中国などに求めても相手にされないののは当然なのではないか。
そして、「米国やロシア、中国」に口解いて説得出来るほどの軍事力は日本にはない。
しかも既に日本はオスロ条約を批准してしまっているから、何の切り札もないではないかとは常識的に考えればそうだろう。
政治というのは、商売と同じである。
日本の官僚、政治家のように、初めに手の裏を晒して「これでどうだ」という商売をしたら何時だって大損しかあるまい。そうでなければ、大金持ちで幾ら損をしてもはした金、慈善事業と言っていられるのだろうか。
確かに、前総理の鳩山家は一般国民から見ればとてつもない大金持ちで、二酸化炭素25%削減と言えば誰かが「良くできました。」と誉めてくれると思ったのかも知れない。
そのために、鳩山家の全財産を国に寄贈するなど言う話は当然一切ない。
何故なら、そんな鳩山家というのは結構けちん坊、吝嗇なのは良く分かることではないか。
要するに、武士の商売、即ち政治力、政治的視点がなかったというにすぎない。
そして、今の日本はそんな場合ではないというのは、誰だって今は気づくことである。
日本の自衛隊というのは、専守防衛だという。しかし、本土防衛と言うことになったら長い海岸線をどうやって守るのか、政治家は考えたことがあるのだろうか。
対人地雷は、いち早く極東の日本だけは廃棄されたが、北朝鮮の対人地雷が海に流れ出すように極東ではどこも廃棄していない。
こういう自衛のための兵器を周辺国とは関係なしに率先して廃棄すると言うのは、防衛に関して政治は何を考えているのか不思議でならない。
問題だったのは、内戦に対人地雷やクラスター爆弾を使ったことだろう。
だから、もし万が一本土防衛が必要になった時、相手国はクラスター爆弾や地雷などを用いても日本は対抗手段を持てないことになる。
そんなときは、米軍の地雷やらクラスター爆弾が必要になったのでは、それこそ日本はやはり米軍なしには何も守れないことになる。
そして、日本の国民自身が日本の国を守れないようなら、日本の自立、独立など言うのは絵に描いた餅であると言うことは、サンフランシスコ講和条約の時から当たり前のことである。
ところが、未だに武器を持たなければ戦争に巻き込まれないと言うの様な幻想や夢を持っているような人達が多いようだ。
毎日新聞の社説では
「英国は国内に貯蔵されている米軍のクラスター爆弾を撤去することで米国と合意した。日本も、国内の米軍基地にクラスター爆弾があるなら撤去を申し入れ、さらに条約参加を促すのが筋だろう。」
この議論とというのは、米軍の核の傘に入っていながら「核を持ち込ませない」という欺瞞を続けたものと同じである。
例えば、犯罪防止というのなら警察官の増強とかと言う手段の他に、今は自警団のように民間パトロールの「青パト」のパトロール。
青少年育成の非行防止パトロール。小中学校の保護者によるパトロール。各町内の犯罪防止のための防犯パトロール。子どもの通学の交通パトロール、下校時のための保護者同伴下校。
今や民間では年がら年中のパトロールばかりで犯罪、非行を減らそうとしているが、一旦平和という概念達すると思考停止してしまう。
市庁舎に掲げてある「平和宣言都市」と言うのなら、この様な取り組みから自衛の防衛組織でもあるのかというのが当たり前だがそんなものがあるはずがない。
それは、無防備なら「平和を愛する諸国民の公正と信義」だから話せば分かると言うのだろう。
そう言うのなら、犯罪も「話して説得すれば分かって減る」と考えるべきだがそんなことは当然していない。
実際は「平和宣言都市」どころか「犯罪防止宣言都市」の方が正しいかもしれないもののそんなに犯罪が多いのかと思われて、恥ずかしくて掲げられないというものだ。